海外に発信された「禅」/鈴木大拙「禅と日本文化」

英語で世界に発信された日本の美意識といえば、
茶道を題材にした岡倉天心茶の本(1906)。
同じような本が「」の世界にもある。

  • 鈴木大拙禅と日本文化」(1938)

こちらは海外の大学での講演をもとに書かれた一冊。
実は以前、岩波新書版を読もうとして挫折。
講談社から出ている対訳版が読みやすいことに気がついた。
たとえば禅の7つの特徴がかかげられた

  1. 禅は精神に焦点をおく結果、形式を無視する。
  2. 禅はいかなる種類の形式のなかにも精神の厳存をさぐりあてる。
  3. 形式の不十分、不完全なる事によって、精神がいっそう表われるとされる。形式の完全は人の注意を形式に向けやすくし、内部の真実そのものに向けがたくするからである。
  4. 形式主義、慣例主義、儀礼主義を否定する結果、精神はまったく裸出してきて、その孤絶性、孤独性に還る。
  5. 超越的な孤高、または、この「絶対なるもの」の孤絶がアスセチシズム(清貧主義、禁慾主義)の精神である。それはすべての必要ならざるものの痕跡を、いささかも止めないということである。
  6. 孤絶とは世間的の言葉でいえば無執着ということである。
  7. 孤絶なる語を仏教者の使う絶対という意味に解すれば、それは最も卑しと見られている野の雑草から、自然の最高の形態といわれているものにいたるまで、森羅万象のなかに沈んでいる。

の部分も英語と照らしながら読むと分かりやすい。

  1. Its concentration on the spirit leads to the neglect of form.
  2. It detects in form of any description the presence of the spirit.
  3. Deficiency or imperfection of form is held to be more expressive of the spirit, because perfection of form is likely to attract one’s attention to form and not to the inner truth itself.
  4. The deprecation of formalism, conventionalism, or ritualism tends to make the spirit stand in all its nakedness or aloneness or solitariness.
  5. This transcendental aloofness or the aloneness of the absolute is the spirit of asceticism, which means the doing-away with every possible trace of unessentials.
  6. Aloneness translated in terms of the worldly life is non-attachment.
  7. When aloneness is absolute in the Buddhist sense of the word, it deposits itself in all things from the meanest weeds of the field to the highest form of nature.

3.の部分が私が追いかけている「引き算の美学」。
なるほど「不立文字・教外別伝」とこうつながるのか!

これまでの私の捉え方は、
あえて不完全にすることで余白に無限を演出
だったけど、
不完全だからこそ人は自分の頭で考える
って捉え方も組み合わせて考えていかないとね。

コメント