平等院鳳凰堂を造営した藤原頼通の三男、
橘俊綱が書いたとされる日本最古の庭園書「作庭記」。
日本の庭園美は室町時代に禅の思想と合わさって完成するが、
それ以前にも日本らしさを感じさせる造園法はあった。
「地形により池のすかたにしたかひて、よりくる所々に風情をめくらして、生得の山水をおもはへて、その所々はさこそありしかと思ひよせたつへき也。」
地形や池の形に風情を加えることで自然美を演出せよと。
「風情をめくらして」って感じが、
心の中で水を感じることで完成する枯山水と似てるかも。
実はこの「作庭記」にも枯山水の記述はある。
「池もなく遣水もなき所に、石をたつる事あり。これを枯山水となづく。その枯山水の様は、片山のきし、或野筋などをつくりいでて、それにつきて石をたつるなり。」
枯山水とは水のない地面に起伏をつくり、石を添えること。
禅の枯山水は平らな庭であることを考えると、
転換点が夢窓国師の造園による天龍寺や西芳寺なのかな?
また日本で禅が広まる以前から、
庭造りに仏教が結びついていたことが分かる記述もある。
滝造りの石組み方法が詳しく解説された末尾に、
「不動明王ちかひてのたまはく、滝ハ三尺になれば皆我身也。いかにいはむや四尺五尺乃至一文二丈をや。このゆへにかならず三尊のすがたにあらはる。」
だいたい1mの高さの滝になれば、それは私自身なのだ!
と不動明王が言った、という話が突然登場する。
滝と向き合うことで得心するようなイメージだろうか。
このように庭に精神世界を描く土壌があったから、
後に修行の一環として作庭を手がける禅僧が現れたのかもね。
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