禅の「無」が潜む、日本の美意識

この世界を理解するには、目に映る美しさだけではなく、
その奥に潜んでいる本質を心で感じることが必要だ。
だから真実を捉えるために、まずは真の自分を究明する。
そんな流れで日本の文化・芸術に「」が絡んでくる。

禅は「本来の自分と出会うこと」を目指すもの。
曹洞宗の開祖、道元の「正法眼蔵」をたどると、

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」(現成公案)

仏の道を追求することは自己を学ぶこと。
自己を学ぶことは「我」の執着を捨てること。
そうすれば周りの世界に身を任せることができ、
主観と客観の仕分けする以前の本質が見えてくる。

簡単に言うと、心の中にある固定観念を捨て、
ありのままを受けいれて生きること。

これが禅の「」の教えであり、
枯山水や水墨画、わび茶の美意識を支えていく。
極限まで削ぎ落とすことで本質を見せるんだよね。

引き算の美学
= 禅の無 × (ちひさきものへの愛 + 無常観)

今のところこんなイメージ。