数寄の遁世者、西行でさえも、
花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふ我が身に
世の中を 捨てて捨てえぬ 心地して 都離れぬ 我が身なりけり
捨てても捨てきれない世俗への想いを詠っていた。
だから私には「市中の山居」くらいがちょうどいいのかも。
都会の喧噪に身をおきながら、隠遁の閑居を見出す。
そんな一環で「禅」についてもっと学ばなきゃと思ってる。
私がもっとも心を込めやすい、食に関する教えをいくつか。
喫茶喫飯(きっさきっぱん)
お茶を飲むときはお茶を飲むことに一生懸命。
ご飯を食べるときは食べることに一生懸命。心から味わうべし。
余計なことに囚われず、目の前のことと「ひとつになる」という教え。
五観の偈(ごかんのげ)
まずは原文の書き下し。
- 功の多少を計り彼の来処を量る。
- 己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
- 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
- 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。
- 成道の為の故に今この食を受く。
現代語に訳すと(めちゃくちゃ自己流に)、
- たくさんの人のおかげで今この食事をいただけることに感謝します。
- 未熟な私がこんなに美味しいものをいただけることに感謝します。
- 貪りや怒り、愚かな心から離れるために美味しくいただきます。
- 食事は心も体も健全に保つための良薬なのです。
- 人として成長するためにいただきます。
「美味しい」ってことは「味が美しい」ことなんだから、
「美しい」心でご飯を食べなければ、なんて思ったりする。
道元「典座教訓」
典座(てんぞ)は禅寺の料理係。
禅における料理の心得を日本で説いた最古の本だろう。
3つの心を持ち続けることの大切さが説かれ、
- 喜心
- 老心
- 大心
自分が作った料理を食べてもらえる喜びと感謝の心を忘れず(喜心)、
子を思う親のように(老心)、真心を込めて料理しよう。
こうして励んでいれば、広く澄み切った心(大心)の境地に至るだろう。
禅語には「今この時を大切に生きる」って言葉が多い。
「而今」「日日是好日」「松樹千年翠」などなど。
人には1日3回幸せになるチャンスがあると私は考えてる。
「食」と関わる時間を大切に生きていきたいな。
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