知的な好奇心や探究心はどのように生まれるのか?
- 「考える葦」を文脈から読む/パスカル「パンセ」(12/06/29)
パスカルに言わせれば、人間には生来、考える欲望があるから、
好奇心は内から自然と湧き上がってくるもの、ということになるだろうか。
でも好奇心は生まれ持った欲望ではない、という論調もよく目にする。
たいていの場合、ジル・ドゥルーズ「差異と反復」の一文を引用しつつ、
「人間たちは、実際にはめったにものを考えたりしないし、考えるにしても、意欲が高まってというよりむしろ、何かショックを受けて考える。」(ジル・ドゥルーズ「差異と反復」)
私たち人間は外からのショックを受けてはじめて、
好奇心が立ち上がり、考えを巡らすようになる生き物なのだと説いている。
そう言われて振り返ると、たしかに何らかの外的刺激により、
好奇心を広げてきたように思えてくる。
- 母にへそくりと株式投資の本を渡されて、投資をはじめる。
- 株式投資で失敗したのをきっかけに、会計や心理学を学ぶ。
- MBAを取得したら、経営学よりも日本の歴史・文化を学ばなければならない切迫感を覚える。
- 東日本大震災を機に、善悪の境界や偶然、リスクをどう捉えるべきか?等々、哲学に関心を持つ。
- COVID-19の襲来をきっかけに、ウイルスやDNAをはじめ生物学に関心を持つ。
そうなると外からやってくる偶然に、
思い切って乗っかってみる感覚を育むことが大切なのかな。
NISAの枠を拡大したところで、投資に関心を持つ人が増えるのかな?
という話をrennyさんとしていて、うーんなんか違うよねと。
日本人は他国に比べて知的好奇心に乏しいという統計結果もある。
既存のものを少し変えただけは、関心を持ちそうにないし、
税金は好奇心を立ち上げるような外的刺激にならないように思う。
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