道元の大著「正法眼蔵」の最終巻「八大人覚」は、
釈迦入滅直前の説法「仏遺教経」からの引用が主だが
道元絶筆の教えとして、遺言ととらえることもできるという。
「八大人覚」とは「八・大人・覚」であり、
ここでいう「大人」は「仏」や「菩薩」を指しているらしい。
しかし私たちは修行僧ではないので、
「立派な人間になるために覚えておくべき八つのこと」
ぐらいの感覚で以下の教えに触れるのがいいと思う。
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少欲…五欲(財・色・食・名誉・睡眠)を広く追い求めるな。
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知足…すでに手にしたもので満足せよ。
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楽寂静…喧騒を離れ、寂静を楽しむべし。
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勤精進…精進に勤めよ。
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不忘念…仏の教えを忘れるな。
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修禅定…心静かに真理を見つめよ。
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修智慧…物事をあるがままに見る眼(智慧)を修得せよ。
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不戯論…物事を複雑に考えず、単純に、あるがままに受け入れよ。
「少欲」と「知足」は、人生にまつわるお金の面からも大切な教え。
株式投資で過度にリターンを求めれば、逆に資産を失うことも多いし、
身の丈に合わない広さや好立地の家は、債務者の監獄となってしまいがち。
お金に関する失敗は、少欲と知足を忘れた時にやってくるのだ。
「楽寂静」と「修禅定」はセットでとらえるといいだろうか。
世間とうまく距離をとらなければ、本質を見抜くことはできない。
つながりやすくなった今の世界は、烏合の衆になりやすいのでご用心。
全体主義の暗雲が立ちこめていた頃の名著が参考になるだろう。
- 大衆に埋没しない生き方のヒント/オルテガ「大衆の反逆」(19/02/25)
「勤精進」は、「正法眼蔵随聞記」にも登場する、
「人知れず善いことをする」といった教えに置き換えてもいいだろう。
- 評判の気にしすぎに道元が物申す/正法眼蔵随聞記(20/09/04)
「不忘念」は、仏の教えを忘れるな、と言われてもピンと来ないので、
自らが師と敬う人から学んだこと、と置き換えて読めばいいだろう。
身近に尊敬できる人がいなければ、読書を通じて見出すこともできる。
「修智慧」と「不戯論」は同じことの繰り返しに思えるが、
それだけ私たちが物事をありのまま見るのが難しいということ。
おそらく絶対的な基準を持とうとすることが眼を曇らせる。
この世界はその時々の関係性で相対的に変化していくものだから、
ありのままを受けいれ、しなやかに対応することが大切なのだ。
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