コミュ力重視の社会が、発達障害を病気に追い込んだ。

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近年、精神疾患と診断される人が増加したのは一体なぜか?
(64歳未満の外来患者…2002年162万人→2017年244万人)

精神科医、熊代亨が記した
健康で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて
がこの疑問に対して、なるほどなぁという見解を示していた。

20世紀末までは、発達障害の症状が持っていたとしても、
仕事に困ることもなく、普通に生活することができた。

しかし、20世紀末からの社会の変化に伴い、
どんな仕事でもコミュニケーション能力が求められ、
それに適応できなければ、病気とみなされるように
なっていく。

「人的流動性の高まりに伴ってほとんどの職域でコミュニケーション能力が求められるようになり、第一次産業や第二次産業が第三次産業に圧倒され、IT化が進みゆく社会では、ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)の特徴が長所として活きる職域は狭くなっていく。むしろ、ADHDやASDであることがハンディとみなされやすくなる。」P63

「片付けられない人。落ち着きのない人。空気が読めない人。敏感と鈍感の混じりあった人。そういった、ちょっと変わってちょっと困った、ホワイトカラーの典型的な職域やコミュニケーションからはみ出しがちな人々、つまり、ハイクオリティ化していく社会から取り残されつつある人々を説明づける概念として、発達障害はパズルのピースのように社会に嵌まった。」P64

こうして2010年代後半には発達障害が社会的に認知されたことで、
病院で診断と治療を受けられ、患者数が急増していった
という。

私も、もしも世間一般の「普通」に溶け込もうと努力していたら、
何かしらの精神疾患を認定されるだろうから他人事とは思えない。
14,5歳頃までサヴァン症候群っぽい子どもだったから。

時代が求める能力と合わなければ、変人扱いされてしまう。
行動遺伝学の本でも似たようなことが記されていたし、
世の中は変化し続けるから、いつ誰が変人とみなされるか分からない。

しかし多様性だの、ダイバーシティだの、とお題目のように唱えながら、
画一的な能力を求めることで、まともな人間像を狭めていく世の中とは一体…。

そういえば、昔々の日本では、変人を神とみなしていた節がある。
たとえば七福神は見た目からして、異形の変人の集まりだ。

とある共同体で「異形」として追い出された漂泊者が、
他の共同体へ訪れて「神」として迎えられる慣習
があったようだ。

かつてはあの世とこの世、村の内と外を分かつ境界が存在した。
そして境界をまたぐことで、「負」から「正」への反転が起きていた。

今はどうすれば境界をまたぐことができるのか分からないが、
変人であることを誇りにできる場がどこかにあると信じたい。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて
イースト・プレス
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