不要不急と無用の用

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不要不急

先ごろはじまったCOVID-19の第5波では、あまり見聞きしなくなった。
ただ「何が自分にとって不要不急だったのか?」と振り返る機会は、
今後も継続的にあった方がいいように思う。

今の経済活動をひとつの生物に見立てると、
ヒトの欲望をエサに、おカネという細胞の自己増殖を繰り返す、
というようなかたちだろうか。

私たちはこんな生物にコントロールされるかのように、
本当に必要なことかどうかを落ち着いて考える暇もなく、
次から次へと必要をあてがわれ、追いかけられ、
自らも必要とされる存在にならなければ、と焦って生きている。

そもそも私たち自身が「不要不急」の存在ではないか。
と手放す機会がないと、生きているのが息苦しくなってしまう。
ましてや不要不急の経済活動の行き過ぎで、
地球そのものが持たない、と叫ばれる世の中なのだから。

無用の用

不要不急を手放す必要性を感じる一方で、忘れてはならないのが「無用の用」。

老子や荘子で以下のように説かれている。

「有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり」(老子 第十一章)

かたちの「有る」ものが便利に使われるのは、
「無い」ところにこそ、本質的な働きが込められているからだ。

「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり」(荘子 人間世編 第九章)

人はみな役立つことの価値は知っているが、
無用に思えるものが真に役立つことだと分かる者はいない。

となると、一体何が「不要不急」で、何が「無用の用」なのか…。

そんなことを考えていたとき、下記の動画で出会った話。

人生に奥深さを与えてくれるのが「不要不急」であり、
いつでも手放せる大事なものなのではないか?
というような話を禅僧、細川晋輔さんが語っていた。

「不要不急」もとことん突き詰めると「無用の用」と同化するということだろうか。

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