投資家として未来予測を追いかけ、あきらめた後、
「時」の扱いへの強い関心だけが私に残った。
- 常に現在という視点に依存する主観的な時の流れ
- 過去から未来に向かって順番に並ぶ客観的な時の流れ
この2つが頭の中でうまく溶けあわない。
前者が宗教や哲学、後者が数学や物理学の分野だろうか。
両者の「間(あいだ)」を探していたとき、
ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)が遺したことばに出会った。
「哲学は偉大な本の中に書かれている。その偉大な本はわれわれの眼前に広がっている。それは宇宙なのだ。そしてその本は数学の言葉で書かれている。」
調べてみるとガリレオは科学史の転換点にいた人物らしい。
物体が「なぜ」動くかではなく「どのように」動くか。
この発想の転換が現代物理学への第一歩だったという。
- ガリレオ以前の科学者は科学現象が「なぜ」起こるかを重視
- ガリレオは科学現象の量的表現(数式化)を試みた
ピサの斜塔で球を落として実験したというのはウソだったらしいけど、
ガリレオの落体の法則は、みんなどこかで聞いたことがあるよね。
物体が自由落下する時に手を離した位置から、
- 地面に到達するまでの時間は、物体の質量に無関係
- 落ちる距離は、落下時間の二乗に比例する
この法則には「時間」が出てきている。
科学現象の時間測定を行ったのはガリレオが最初なんだって。
そしてそれが後のニュートンにうけつがれてゆく。
科学に「なぜ」という哲学的な問いを求めなかったガリレオが、
客観的な「時」を科学に持ち込み、現代物理学が進み始める。
このあたりが「時」の歴史の転換点なんだろうなぁ。。。
※当時ヨーロッパで普及していた機械時計の後押しもあったはず。
(17世紀の民話、シンデレラに15分刻みの時間感覚がある)
参考文献
- 「数学者の哲学+哲学者の数学」P234 ガリレオのことば
- モリス・クライン「数学の文化史」第12章
- リチャード・モリス「時間の矢」第3章
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