中秋の名月についてこれまで調べたことをいったんまとめてみた。
「中秋」の由来
旧暦での季節の分け方は、
- 春…1月、2月、3月
- 夏…4月、5月、6月
- 秋…7月、8月、9月
- 冬…10月、11月、12月
そしてそれぞれの季節に属する月をさらに、
- 初(孟)
- 中(仲)
- 晩(季)
の3つに細分化。
よって旧暦の8月が「中秋」となる。
月を見ることは不吉だった?
月見の習慣は古代からあった訳ではないようだ。
竹取物語には、月を眺めては悲しむかぐや姫に、
「月を見ることは不吉なことだからやめなさい」
と制する人がいた、という記述がある。
「春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の『月の顔を見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣きたまふ。」
「月」は発音から「憑き」を連想させ、
何かに取り憑かれるような印象があったのかもしれない。
そういえば英語にも”moony”や”lunatic”といった
「月」と「狂気」の結びつけがあり、月は元来、怪しい。
中秋の名月よりも九月十三夜の月を愛でる
記録に残る日本で初めての月見の宴は919年とされる。
しかし中秋の名月(八月十五夜)ではなく、九月十三夜の月見。
九月十三夜の月を愛でる慣習は中国にも朝鮮にもない日本独自のものらしい。
「八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。」(徒然草239段)
兼好法師によると八月十五日、九月十三日ともに、
占星術の二十八宿に基づく月見に適した日らしい。
日本では旧暦八月十五日というと秋雨前線や台風の時期。
翌月の方が月見に適した気象条件だから、ということだろうか。
銀閣寺は九月十三夜の月の運行に合わせて設計された
足利義政の建てた慈照寺、観音殿(銀閣)は、
九月十三夜に月見の宴を開くための建物だったという説もある。
※大森正夫「京都の空間遺産」より
1489年の九月十三夜の月の軌道を再現すると、
- 18時ちょっと前に銀閣の縁側から山から昇る月を眺め、
- 18時半に銀閣の2階へ上がり窓から池に映った月を眺める
といった月見が楽しめるのだという。
また十五夜の時は起こらない現象として、
十三夜では月影が池の浮石にピッタリと重なる趣向が見られる。
義政が十三夜の月をこよなく愛した証と言えるだろうか。
月を詠んだ和歌が増えるのは平安末期から
勅撰和歌集で月を題材にした和歌の割合を調べると、
平安末期から鎌倉初期に急増していることが分かる。
この頃に月見の習慣が一般的になっていくのだろうか。
最後にこの時期の代表的な歌人、西行が詠んだ中秋の名月。
西行「山家集」には中秋の名月が8首、九月十三夜が3首収録される。
秋はただ 今宵一夜の 名なりけり
同じ雲居に 月はすめども
中秋の名月ただ一夜のみが秋の名に値すると賞賛し、
うちつけに また来ん秋の 今宵まで
月ゆえ惜しく なる命かな
来年の秋もまたこの月を見たい!
中秋の名月のためにこの命が惜しく感じると詠んだ。
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