暑い日が続くので涼しさが感じられる和歌を探してみた。
西行「山家集」から夏の月歌を4首ほど。
涼を求めて泉で出会った月を詠む
むすびあぐる 泉にすめる 月影は
手にもとられぬ 鏡なりけり
むすぶ手に 涼しき影を 慕ふかな
清水に宿る 真夏の夜の月
泉に移った月影が鏡のように見えるけど、手にとることはできない。
でもその月影が涼しげに感じる、という涼を求めて泉で詠んだ和歌。
水面に映った月に仏や真理を見る
少し話を脱線して仏教の話。
釈迦が「仏とは虚空であり、水中の月である」と述べて以来、
水面に映った月に仏や真理を見る、といった表現が多くある。
水急不月流(水、急にして、月を流さず)
水の流れがどんなに早くても、水面に映る月までが流されることはない。
世間の波に流されず、自分の頭で考えなさい、という禅語。
「大空の月、もろもろの水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず、澄める水のみ宿りたまうがごとし。」
澄んだ水に美しい月が浮かぶように、澄んだ心の中に仏が宿る。
こんな言葉を残したのは、一休宗純。
そんなわけで西行法師が詠んだ和歌ということで、
泉に移った月の和歌にも、涼しさだけでなくもっと深い意味も?
納涼のために冬の情景を詠む
夏の夜も 小笹が原に 霜ぞ置く
月の光の さえしわたれば
影さえて 月しもことに 澄みぬれば
夏の池にも つららゐにけり
月の光に照らされて、笹の葉は霜が降りたように、
池は氷が張ったように感じられる、と詠んだ歌。
今と同じくらい暑かった西行の生きた平安末期。
温暖化の影響で国内の勢力図が塗り変わったほどだった。
クーラーを止めることはできないけど、
夏の情景に涼しさを見出すといった感性は学びたいものだね。
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