平安・鎌倉時代の日食

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天気がよければ、もうすぐ金環日食が見られるね!
東京で見られるのは1893年以来、約173年ぶりのことなんだって。
通勤時間帯で見れないよ!という方は人生を考え直した方がいいかも。

日本の歴史上、有名な金環日食といえば1183年
源平合戦のさなかに日食が起こり、源氏側が混乱して敗走。
平氏側はあらかじめ日食が起きることを知っていたようだ。

天俄にわかに曇て、日の光も見えず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退けていずちともなく風にしたがいて逃れていく。平氏の兵どもはかねて知りにければ、いよいよ時をつくり、重ねて攻め戦う。」(源平盛衰記)

この出来事をはじめ、12世紀の日本では金環日食が頻発していた。
1183年のほかに、1107年(西日本)、1173年(関東)、1198年(九州)。
貴族社会から武家社会への転換期の頻発に興味をそそられる。
※ちなみに北海道でも1129年、1145年に金環日食。

転換期に起きた日食とといえば、モンゴル襲来時の皆既日食
1274年と1281年にモンゴルが九州に攻め込んでくるのだけど、
1275年と1277年と立て続けに九州で皆既日食が起きたらしい。
日本が自信をつけた転換点(神国思想など)の不思議な巡り合わせ。

そして最後に日本の歴史上、最大の皆既日食975年)。
236kmの幅で中国地方から京都を通り関東まで本州を横断。
朝廷も大混乱して恩赦を連発したとか。(「日本記略」より)
ちょうどこの頃、あの清少納言は二十歳前後。
枕草子」の252~254段には、

日は入り日。入りはてぬる山の端に、光なほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。

月は有明の東の山ぎはにほそくて出づるほど、いとあはれなり。

星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。

と空に関心を寄せていたことが分かる。
感性豊かな彼女が日食について言及しなかったということは…。
当時、皆既日食が本当に恐れられていた証拠といえるかもしれない。
ちなみに日食の和歌がないか調べたけど、まったく見当たらなかった。
週明けの朝、晴れるといいね。

☆参考ホームページ…日食ナビ・日食一覧表

コメント

  1. いいいいいいいい より:

    意味がわからん

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