雪月花や花鳥風月など日本の伝統美を表す言葉には、
お決まりのように「月」を愛でる心がついてくる。
でも平安末期までは月のイメージは良くなかったのでは?
「竹取物語」の引用とともに、そんな話を以前書いた。
「春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の『月の顔を見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣きたまふ。」(竹取物語)
月を見るのは不吉(月の顔を見るは、忌むこと)。
同じ表現は「源氏物語」にも登場していた。
「今は、入らせたまひね。月見るは忌みはべるものを。あさましく、はかなき御くだものをだに御覧じ入れねば、いかにならせたまはむ。」(宿木巻)
月がなぜ不吉なのか?
それがかいま見える在原業平の和歌(古今集879)。
おほかたは 月をもめでじ これぞこの
積もれば人の 老いとなるもの
月の満ち欠けが積もり積もることが老いの象徴。
だから月を愛でるのはやめた方がよい、という一首。
そこで白居易の詩との関連性が指摘されているようだ。
「白氏文集」第十四「贈内」より。
漠漠闇苔新雨地(漠漠たる闇苔 新雨の地)
微微涼露欲秋天(微微たる涼露 秋ならんと欲する天)
莫對月明思往事(月明に対して 往事を思ふことなかれ)
損君顏色減君年(君が顔色を損じて 君が年を減ぜん)
月明かりに向かって、過去を懐かしんではいけない。
あなたの容色を損ない、寿命を縮めてしまうから。
そういえば日本の「花鳥」に対する感覚に、
白居易と同じ唐の時代の杜甫の影響を感じられた。
唐代を代表する詩人、杜甫や白居易は、
平安時代の文芸に大きな影響を与えていたのだろう。
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