前回に引き続き「建礼門院右京大夫集」の星夜の話。
今日は「色」に着目して編集してみる。
「空を見上げたれば、ことに晴れて、浅葱色なるに、光ことごとしき星の大きなる、むらなく出たる、なのめならずおもしろくて、花の紙に箔をうち散らしたるによう似たり。」
右京大夫が夜空を「浅葱色」や「花の紙」と表現したのはどんな色?
両方とも青緑を表したもので「花の紙」の色は「縹色(はなだいろ)」。
藍色よりも薄く「浅葱色(あさぎいろ)」よりも少し濃い。
画面上で色を表現できるので比べてみるとこんな感じ。
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★ 浅葱色 ★
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★ 縹色 ★
この青と緑の間の色表現になんとなく惹かれるのだ。
日本で緑色なのに青信号と呼んだりするのと何か関係があるのかなと。
まずなにかしらの「色」の存在があって、
それに名称が付けられると思いがちだが本来はその逆。
たとえば虹は日本では七色だが、五色や六色と認識する国もある。
- 七色…日本、韓国、オランダ
- 六色…アメリカ、イギリス
- 五色…中国、フランス、ドイツ
言葉の構造や仕組みが違えば、認識する色も変化するということ。
私たちは色を表す言葉をどのように獲得していったのか?
ガイ・ドイッチャー「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」によれば、
多くの言語は下記の順で色名を獲得していったらしい。
- 黒と白
- 赤
- 黄
- 緑
- 青
もしかすると日本は少し違う可能性があり、
「古事記」や「日本書紀」に登場する色は以下の4色。
- 黒
- 白
- 赤
- 青
黄や緑よりも青を認識したのが早いことに特徴があるのだろうか。
古典に現れる「色」を追いかけるのもおもしろいかもしれない。
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