琵琶湖の名称の由来。形? 弁財天?

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さらに近江旅の予習中。

覇王 信長の海 琵琶湖」を読んでいて気になった琵琶湖の名称の由来。

琵琶の形に似ているから?

Wikipediaにはこんな風に書かれていた。

古代には、都から近い淡水の海として「近淡海」(ちかつあふみ、単に淡海とも。『万葉集』では「淡海乃海」(あふみのうみ)と呼ばれた。近淡海に対し、都から遠い淡水の海として浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、それぞれが「近江国」と遠江国の語源になった。別名の「鳰海」(におのうみ)は、近江国の歌枕である。この鳰は、カイツブリのことを表す。測量技術が発達し、湖の形が楽器の琵琶に似ていることがわかった江戸時代中期以降、「琵琶湖」という名称が定着した。(Wikipedia)

ちなみにこの文中に登場する「淡海の海」を詠った、
柿本人麻呂万葉集の和歌は、

淡海の海 夕波千鳥 汝なが鳴けば 
心もしのに いにしへ思ほゆ

「鳰の海」は新古今和歌集藤原家隆の和歌がある。

鳰の海や 月のひかりの うつろへば 
浪の花にも 秋は見えけり

竹生島の弁財天が音楽神だから?

もう少し調べると「測量したら琵琶の形に似ていたから」ではなく、
室町時代の禅僧、景徐周麟(けいじょしゅうりん、1440~1518)が、
こんな詩を残している。

瀟湘八幅其の図案ずるに、
長命寺の前天下に無し。
一景新たに添う有る声画、
袖中に携えて琵琶湖を去る。

中国の名勝、瀟湘八景と比較して、琵琶湖の景色を讃えた内容。

白洲正子も長命寺からの景色が近江で一番美しいと記していたから、
ここは古くからの絶景ならば、長命寺訪問の日に晴れてくれるといいな。

この時代には琵琶湖の測量図は存在せず、
湖の形を知っていたなら、景徐周麟は空飛ぶ禅僧になってしまう。

どうもこれ以前に「琵琶」と結びつけて語られていたようで、
湖上に浮かぶ竹生島弁財天が祭られていることと関連がある。
弁財天は音楽神の性格も持ち「琵琶」を携えた形の像も多い。
また湖のさざ波が琵琶の音色に似ていたからという説もあるようだ。

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