先日ある方の出版記念イベントを企画していてかなり驚いたこと。
参加するならその本の読後であることが当たり前と考えて進めていたが、
「ハードルが高すぎる。イベントに出てから本を買う人の方が多いのでは?」
という異論が出て、え!そんなものなの???
わざわざ時間を使ってイベント会場まで足を運ぶのに、
講演者が欲しい情報を話してくれる人かどうか確認しないのだろうか?
また出版記念のイベントに限らず、
講演者の著書があるなら関連書も含めて何冊が読んで予習してから、
講演を聞いた方が絶対に面白いと思うのだが…。
こういった姿勢は「遊び」の時には意識せずともできていることだ。
たとえば旅行の前に訪れる土地の見所を調べない人はいないだろうし、
家電好きなら下調べしてから家電量販店に足を運ぶのが普通だろう。
人生にはこの「遊び」の感覚が非常に重要なのだ。
古くは荘子が「遊」の大切さを強調し、
- 荘子「無窮に遊び、心に天遊を!」(15/05/10)
- 荘子「不測に立ちて無有に遊ぶ」(16/11/25)
後に「遊」は「道を究める」ことに結びついていく。
たとえば仏教用語では、
- 遊行(ゆぎょう)…僧が修行のため諸国を巡り歩くこと
- 遊戯(ゆげ)…心にまかせて自在にふるまうこと
といった言葉があり、後者は茶席の掛け軸としても好まれる、
遊戯三昧(ゆげざんまい)
という禅語に変化し「今このときに没頭せよ」と説く。
一度きりの人生だから、せっかく時間を使って学ぶなら、
遊び心を持って思いっきり吸収したいものだ。
コメント