近江旅の予習に白洲正子「近江山河抄」を読んだ。
歴史を巡る旅をしたい私にとって素晴らしいガイドブックだが、
1972年の連載をまとめた本なので、風景の記述には期待薄だろうか。
それでも近江八幡の長命寺には足を運んでみようと思う。
「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう。」
また著者の考察で一番興味深かったのは穴太衆に関する記述。
穴太衆といえば安土桃山時代に活躍した石垣職人の集団として有名。
「日吉大社で有名なのは石垣が美しいことである。石橋もみごとだし、何げなく立っている石塔も美しい。二の鳥居に向って左側の、鶴喜のそば屋の前を南へ進むと、穴太という集落があり、そこに、「穴太衆」と呼ばれる石積み専門の集団がいた。比叡山が盛んであった頃は、山中の寺院や僧坊に、城壁のような石垣を築き、僧兵たちの守りとしたが、近江に名城が少なくないのも、彼らのお蔭をこうむっている。」
しかし著者はもう一歩踏み込んで、
石垣づくりの原点は古墳の石室にあるのではと。
「穴太衆が叡山とともに栄えたのは事実だが、それよりずっと古くからの伝統があったのではないか。穴太の山中には、景行天皇から三代にわたる(約六十年間)皇居の跡があり、現在は「高穴穂神社」と呼ばれるが、その辺から滋賀の里へかけて、一大古墳群がつづいている。私の想像では、穴太は穴掘りで、古墳を築いた人々ではなかったか。古墳には必ず石室がともなうから、しぜん石組の技術も巧くなる。」
古事記を読み直すと、景行天皇は纏向日代宮(奈良県桜井市)で即位、
在位中の功績についての記述は皆無で、息子のヤマトタケルの記述ばかり。
次の成務天皇が志賀高穴穂宮(滋賀県大津市穴太)で天下を収めた、
という記述があるので、景行天皇の時代に遷都したということかな。
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