ビジネス書として世阿弥「風姿花伝」を読むという観点があるらしい。
- ヘタな自己啓発本より世阿弥「風姿花伝」(12/07/21)
- 世阿弥の年齢別人生論/風姿花伝・年来稽古条々(13/03/27)
という記事を昔書いたように、これまで私は「人生論」として読んでいた。
そこでビジネスに関連しそうな部分は?と再読してみて、
思い当たったのが「花伝第七 別紙口伝」の以下の一節だ。
「時分にも恐るべし。去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間にも、男時、女時とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、かならず悪き事またあるべし。これ力なき因果なり。」
時分(その時々で変動する運気)は恐ろしい。
前年に喝采を浴びれば、今年は低迷するかも知れないと認識せよ。
時の間(ほんの短い間)にも、
- 男時(をどき)…こちらに勢いがある時
- 女時(めどき)…相手に勢いがある時
があり、
どう工夫しても、人の力ではなんともできない因果なのである。
ここで男時・女時と勝負事のような表現が出てくるのは、
この時代の能は「立合」という競技形式で上演されていたから。
続く一節で詳しい解説が入る。
「これを心得て、さのみに大事になからん時の申楽には、立合勝負に、それほどに我意執を起こさず、骨をも折らで、勝負に負くるとも心にかけず、手をたばひて、少な少なと能をすれば、見物衆も、「これはいかやうなるぞ」と思ひ醒めたる所に、大事の申楽の日、手立を変へて、得手の能をして、せいれいを出だせば、これまた、見る人の思ひの外なる心出で来れば、肝要の立合、大事の勝負に、定めて勝つ事あり。」
女時には小さな興行で勝ちにこだわろうとせず、観客を失望させてもよい。
つづく重要な興行で得意の能を精一杯演じて、観客に意外性を感じさせれば、
大一番の立合勝負に、必ず勝つことができるだろう。
勝負事に限らず、人生はもちろん事業における失敗のほとんどが、
波が来ていないときに、静観できないことで生じるもの。
変なプライドに囚われて、あがいてしまい、傷口を広げてしまう。
そしてさえない時に、めげずに次の波が来たときの準備ができているか?
ちなみに世阿弥のこのあたりの勝負事に関する考察は、
200年後に宮本武蔵が「五輪書」に記した内容にも近い。
- 宮本武蔵「五輪書」の奥義を要約・編集(16/05/03)
世阿弥はこの章の末尾で、
「信あれば徳あるべし。」
自分を信じて待ちなさいとまとめているが、
その裏には信じるに値するだけの鍛錬を積みなさい、
という教えが込められていることを忘れてはならない。
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