高橋箒庵の「東都茶会記」を読む中で、
懐石料理以外に気になったのは美術品売買の話。
1916年12月31日に「道具の当たり年」として記された一節。
「明治初年に売却されたる品々が四十余年後の今日、百倍ないし二百倍に騰貴したるは比々皆これにして、中には千倍二千倍に達したる者あり。十二月十八日、京都寺村家の入札会にて売却せられたる、遠州蔵帳青貝天下泰平香合は、明治初年に山濫宗澄老が、日本橋大伝馬町の江戸大名主、馬込勘解由より金十四円にて買取りたる者にして、当時何方にも買手なく久しく持て余したる由なるが、今度これが三万六千余円に売却せられて、実に二千六百倍の騰貴を告げたるは、今日までの所にてけだしレコード破りなるが如し。」
江戸から明治への変わり目に大名等が没落したことで、
彼らが保有する美術品が安値で大量に流通していた。
このときたくさんの美術品が国外に流出してしまったが、
成功した実業家が茶会の道具として関心を寄せたことで、
国外流出を防ぐことができた国宝・重要文化財は数多い。
しかし名物道具争奪戦に発展し、ここに記されたように、
買値の2,600倍もの値がついた香合もあったという。
青貝天下泰平香合がどんなものか見てみたいので調べてみたところ、
過去に野村美術館で開かれた野村得庵(野村證券創業者)の企画展に、
展示品として名前が出ているので、この美術館の所蔵品なのかもしれない。
当時の数寄者が買い争ったコレクションが美術館として残されている例は、
- 藤田美術館(藤田伝三郎)
- 逸翁美術館(小林逸翁)
- 静嘉堂文庫美術館(岩﨑彌之助・岩﨑小彌太)
- 根津美術館(青山根津嘉一郎)
- 五島美術館(五島慶太)
- 畠山記念館(畠山即翁)
また美術館を残すことができなかった人物の中で、注目したいのが原三渓。
現在の横浜、三渓園内に美術館設立の構想を持っていたが、
関東大震災によって壊滅的な被害を受けた横浜を復興するため、
私財を投じ奔走したため、美術館の実現には至らなかったという。
ちょうど今、横浜美術館で原三渓旧蔵の名品を集めた
「原三溪の美術 伝説の大コレクション展」
が開催されているので、足を運んでみたい。
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