益田鈍翁の茶懐石/高橋箒庵「東都茶会記」

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北大路魯山人(1883~1959)は高級料亭「星岡茶寮」のイメージから、
たいそう豪華な食生活を送っていたように思われるが、

「手のこみ入ったものほどいい料理だと思ってはいないか。高価なものほど、上等だと思っていないか。」

という言葉が表すように、
手に入れやすい旬の食材を吟味し、その持ち味を生かす調理が肝だった。
もっとも食材の輸送や料理を彩る器選びに収益度外視の費用をかけたことで、
魯山人は星岡茶寮の顧問の座を追われることになるのだが…。

ただ高価な食材を使っただけでは上等な料理とは言えない。

もしかすると料理に対するこの考え方は、
一世代前の益田鈍翁(1848~1938)の茶懐石を受け継いだものかもしれない。

明治・大正時代には実業家の間で茶会がたびたび開催され、
その詳細な記録を高橋箒庵(1861~1937)が「東都茶会記」に残している。

これを読むと、箒庵という人は味にうるさい人だったようで、
供された料理に感銘を受けたときだけ感想を書き残しており、
とくに鈍翁主催の茶会では料理に関する言及が多い。
(料理が月並みだと使われている器について感想を記すのみ)

以下に印象的な献立とコメントをいくつか。

型にとらわれない食材選び(1914年2月7日の献立)

  • 汁…若布、三州味噌
  • 向付…寒鮒、甘酢
  • 椀…白魚、海老、椎茸、シンジヨ
  • 焼物…猪子、大根、カラシ
  • 吸物…蛤、土筆
  • 八寸…室蘭薫鮭、百合、山椒実
  • 香物…沢庵

「茶料理に猪子の出品は少し大胆すぎたる様なれども、猪子の煮方は土佐が最も上手なれば、庵主はその調理法を採用したる由にて、当日のごとき寒風凛烈の折柄には罪も報いも後の世も忘れ果てて一同お替わりと云ふ始末なりしかば、庵主もすこぶる満足の様子なりき。」

茶懐石には本来、似つかわしくない食材の「猪肉」が出された。
体の温まる料理は当日の気候に合わせたおもてなしだった模様。

形にとらわれないのが鈍翁の懐石料理の特徴で、
当時日本に渡来したばかりの「アスパラガス」を味噌汁の具にしたり、
吸物に中華の高級食材「燕の巣」を使っている献立もあった。

安価で美味な食材を求めて(1915年10月17日の献立)

  • 汁…三州味噌、茄子、胡麻
  • 向付…鮎粕漬、玉ねぎ、北海道鰊
  • 椀…豆腐、海老しんじょ、藤豆、柚
  • 焼物…京都芋、花鰹
  • 煮物…鴫、松茸、栗
  • 吸物…牡蠣、不老長生、切生姜
  • 香物…茄子、胡瓜など押漬

「庵主が安価食物研究の結果、北海道鰊を広告せんとて、之を向付に用ひたるはあまり結構なる思ひつきにもあらざれども、とにかく食物に工夫多きは当庵の名物なり。」

成功した実業家が競って主催した当時の茶会。
その財力を見せつけるような高級食材を使った料理ではなく、
安価で美味な食材を探して披露していた鈍翁。
その姿勢は次の献立に色濃く現れている。

新たな食材を求めて野草を試す(1916年4月16日の献立)

  • 汁  信州味噌、独活
  • 向付 鯛、岩茸、山葵、甘酢
  • 椀  鰈(かれい)、金海鼠(きんこ)、蕨(わらび)、木の芽
  • 焼物 豚、鶏肉と重ね焼、摘草浸し
  • 強肴 桜ばい、蕗(ふき)
  • 八寸 若鮎、薔薇の芽
  • 吸物 蛤、切生姜
  • 菓子 春雨羹

「当庵の懐石には、毎度得体の知れぬ材料の一、二品加はらずといふ事なく、当日の野菜の多くは小田原石垣山の牧場より携帯の品々にて、ことに薔薇の芽など思ひもよらぬ材料なるが、庵主は近年本草趣味を喜び、大正式神農氏を気取り居るゆえなれば、今後いかなる本草食物を発見せらるるや、その都度これを試食する客人一同はありがたくもまた恐ろししと、大薩摩入りの賛辞を呈せざるを得ず。」

鈍翁は小田原と箱根強羅に別邸を有し、箱根の観光地化を進めたことでも有名。
小田原から箱根に向かう途中にある石垣山の牧場で、
新たな食材の探求に余念がなかったようだ。

茄子の美味しい焼き方を発案?(1916年7月7日の献立)

  • 汁…三州味噌、小芋、紫蘇
  • 向付…鱚、ずいき、そら豆あえ
  • 椀…鮎切身、冬瓜、水前寺海苔
  • 強肴…品川名物あなご焼
  • 焼物…茄子亀の子焼き、花鰹をかけて
  • 香物…胡瓜、茄子の押漬

「懐石に品川名物あなご焼きを用いたるは、あいかわらず庵主が献立上の作略を観るべく、亀の子焼の茄子は京都より遠来品にて、2つに割りて肉を亀甲のごとく刻みたるより庵主が名づけたるなりといふ。」

茄子に格子状に隠し包丁を入れる焼き方は、
もしかすると鈍翁の茶懐石に由来するのだろうか?

東北開催の茶会で現地の食材を試す(1916年10月31日の献立)

  • 汁…田舎味噌、芋、大根
  • 向付…茄子、味噌入り松茸、花鰹
  • 椀…豆腐、なめ茸、忘れ生姜
  • 焼物…鯉飴煮
  • 吸物…梅、鮎子
  • 八寸…しそ巻味噌、栗、焼取小鳥

「安価生活食物研究家たり、はたまた東北振興策を抱きて多年これを唱道し居りたる当庵主が、今度山形の奥羽六県共進会を見物して、鵜の目鷹の目探し来りたる茶事向食品として松茸を二つに割りて其間に味噌を挿みたるもの、なめ茸の缶詰、紫蘇巻味噌、鯉の飴煮などを此茶会に転用したるは、三百年前上山嫡居の沢庵和尚が大発明に係る大根の重し漬に、爾来沢庵の名の付きたる当時を回想せしむる趣向とも見られて誠に面白き懐石なり。」

コイの飴煮とは味の想像がまったくつかない料理。

食材に選びに困る季節に高野豆腐(1918年6月6日の献立)

  • 汁…三州味噌、ぜんまい、アスパラガス
  • 向付…おこぜ、菜、酢味噌
  • 椀…高野豆腐、椎茸、筍、えんどう豆
  • 焼物…鮎の天ぷら
  • 吸物…蘭の花
  • 八寸…鰊の子、空豆、みずき
  • 香物…茄子、蕪、胡瓜

「さすがは食物博士だけありて、時節柄この献立を工夫したるは凡慮の及ぶ所にあらず。初風炉の食物は何方にても干篇一律を免れざるに、これほど高野に登山して精進料理を研究したる当庵主は、高野豆腐を主品としてここに椀盛の一品をととのへ、超然として月並料理を飛び放れたる御手際、何時もながら感々服々なり。」

初風炉の茶会の懐石料理はどこも使う食材は似たり寄ったりでつまらない。
でも鈍翁はその食材探求の腕を見せて感服、と記されている。

初風炉の茶会は茶会は5月初めに開かれるものだが、
この日の日付は6月6日。旧暦の初風炉を指しているのだろうか。

腹八分目がうれしい(1919年10月31日の献立)

  • 汁…三州味噌、石垣山産の栗
  • 向付…鱚、根芋その他数々の和物
  • 椀…豆腐、海老
  • 焼物…鴫(しぎ)、松茸、山葵
  • 八寸…いたら貝の粕漬け、鮭の子、百合根
  • 香物…沢庵、茄子、胡瓜、紫蘇

「前記懐石は当亭主の最も得意とする所にして、その材料には小田原石垣山より持ち来りたる百合、栗などその心入のほども知られて嬉しく、その蕎麦の新芽入りの飯にすまし汁掛けの趣向、淡泊にして最も老人の食用に適当なりき。」

箒庵は料理が大量に運ばれてくる関西の茶懐石が嫌いだったようだ。
元スゴ腕実業家ゆえに食事の時間があまりに長いのも嫌ったのだろう。

また蕎麦の新芽は最近では健康食材として食べられている。
見栄を張った料理ではなく、客人の健康にも配慮し、
新しい食材が供される鈍翁の茶懐石を箒庵は楽しんでいたようだ。

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