個人投資家を育てることの社会的意義

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今日発売の週刊エコノミスト2019年7月2号で、
アクティブ投信がテーマにした、

との座談会に、私も混ぜてもらった。

私は個別株投資からはじめてそのまま約20年という投資家のため、
昨今のインデックス偏重の投信投資家の行動は意味不明だった。

でも今回、お二方の話を聞いているうちに謎が解け、
私自身が理想とする個人投資家像がより明確になってきた。
そんな貴重な体験ができたことに関係者みなさまへ感謝。

いくつか頭の整理に。

洗脳状態から解放するための投資教育の必要性

資産形成の土台として、まずはインデックスファンドの積立投資から。
という投資の始め方が、税制の優遇もあるから王道と言える。

しかしコストのみに着目し、0.1%未満の信託報酬の引き下げに熱狂…、
せっかくの学びの場を前に、そんな立ち止まり方をするのは惜しい。

元インデックス投資家だった下山さんによると、
「コストが高い分、アクティブは負ける」という説に洗脳され、
投資の本質が見えなくなっていた時期があったという。

なぜ洗脳されるほどの魅力を持ってしまうのか考えると、
そもそも経済活動に関する基礎的な教育が足りないため、
頭を使わなくてすむ楽な方に流れてしまうのが人の性だから。

ここでも書いたように、運用会社にはアクティブファンドを通じて、
投資哲学や投資先企業の見方など積極的に開示し、
個人投資家を啓蒙するような役割を期待したい。

個人投資家を育てることの社会的意義

石田衣良「波の上の魔術師」(2001)。

私が投資をはじめて間もない頃に出会った小説だ。

老投資家が主人公の若者に投げかける一節が好きで、
意外と大きな影響を受けていたことに今さら気が付いた。

「別に金をもつことは恥ではない。日本の総資産8,000兆円は、戦後半世紀かけてこつこつと積みあげられた大切な資産だ。それはわたしたちの世代から、きみたちの世代に受け継がれていくだろう。きみたちにはその資産をより豊かに育て、つぎの世代に受け渡す責任がある。・・・わたしは若い世代の数パーセントが、自分自身でリスクを負ってマーケットの荒波にのりだしていくといいと考えている。生き残る人間がそのさらに数分の一でも、彼らは自らの利益とこの国の富を殖やすための貴重な戦力になるだろう。」

過剰生産・過剰消費により、経済成長を続けているが、
地球環境の限界という壁も立ちはだかっている。
ゆえに世界経済の成長に乗っかるだけの投資法の限界も近い。

社会から本当に必要とされる企業を見きわめ、
アクティブ投資で戦う個人投資家の存在が大切ではないか?

ノブレス・オブリージュの精神

繰り返しの話。

投資は未来に対して一票を投じるような行為とも言えるが、
その投票権はすべての人に平等に与えられているわけではない。
投資に回せる余裕がある時点で、何らかの社会的な責任があるのでは?

たとえば市場全体に投資することで、あなた自身の投資リスクは軽減され、
世界的に経済成長が続くなら、楽してリターンを手にできるだろう。

だが個々の企業の事業内容には無関心の株主が増えるリスクは、
社会全体に転嫁され、いつか自分に返ってくるのではないか?

単に自分が儲かったことを喜ぶだけでなく、
より広い視野で物事を見つめる個人投資家が増えて欲しい。

こうして数十年前に松下幸之助が理想として掲げた、
「株式の大衆化」が実現するのではないだろうか。

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