伊吹山の神様とその息吹がもたらす薬草。

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次なる日本文化探求の旅は滋賀に決めた。
予習を進めるうちに気になったのが伊吹山。

伊吹山を結ぶ神社と史跡

ヤマトタケル草薙剣を持たずに伊吹山の神を討伐に出かけ返り討ち。
尾張国の妻ミヤズヒメの元に草薙剣が残されたことが熱田神宮の起源。

ちなみに最近お気に入りの渋谷茂一「巨大古墳の聖定」によると、
伊吹山と熱田神宮からほぼ同じ距離に宮滝遺跡がある。

天皇の離宮、吉野宮があったのでは?とされる地で発掘が続いており、
縄文以降の遺物が出土しているようなので何かありそうな場所だ。

オマケで伊吹山を頂点に大神神社伊勢神宮を結ぶと二等辺三角形が現れる。

もし古代の人々がこうした位置関係を意識していたのであれば、
伊吹山は古代の山岳信仰において重要な地だったと言うことだろう。

薬草の産地

伊吹山に神を強く感じさせるのは、おそらく薬草の存在。
司馬遼太郎「街道をゆく」にこんな記述があった。

「十世紀に編纂された律令国家の法典である「延喜式」に、諸国から朝廷に貢進する薬種のことが列記されているが、そのなかで近江がもっとも多く、七十三種にものぼっている。そのほとんどが伊吹山で産する。なかでも、灸のもぐさが代表的である。」

そんなにもたくさんの薬草が採れるとなると、
伊吹山から吹き下ろす風は、神の息吹に等しかったのでは?

また伊吹もぐさは消えにくく、効果が持続することから、
恋心と結びつき、和歌の題材としても用いられている。

最も有名なのは百人一首にも収録された藤原実方の一首。

かくとだに えやは伊吹の さしも草 
さしも知らじな 燃ゆる思ひを

伊吹山が薬草を育てるのに適した地という分かる話として、
織田信長が南蛮人から入手した薬草を栽培するために、
伊吹山に薬草園の開拓を命じたという説もあるようだ。

ヤマトタケルが伊吹山の神と戦うという描写は、
この地の支配者から薬草の産地を奪うための戦いだったのだろうか。

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