関東と関西の月見団子/守貞謾稿

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中秋の名月のお供物と言えば「月見団子」が思い浮かぶが、

もともとは「芋名月」とよばれ、里芋が主役だった。

はるか昔の狩猟採集時代より世界中で栽培されており、

今も世界各地で里芋の収穫祭が行われているらしい。

日本でも中秋の名月が里芋の収穫期に当たるため、

煮た芋をほおばりながら、月見をするのが一般的だったという。

ではいつ頃から芋から団子に変わったのか?

江戸時代後期の風俗・事物まとめた「守貞謾稿(もりさだまんこう)」。

この27巻に中秋の名月(八月十五夜)の月見団子が登場する。


国立国会図書館デジタルコレクションより切り抜き

ここには江戸と京都・大阪の違いが書かれている。

江戸の月見団子はまん丸。

一方の京都・大阪の月見団子は小芋のように先を尖らせて、

黄色い粉に砂糖を加えてまぶし、醤油で煮た小芋と一緒に盛る。

この違いは現在でも残っており、

東京の月見団子は中心に餡の入ったまん丸の団子で、

京都では芋の形をした団子を餡でくるむのが一般的だ。

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