先週末「ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界」展を観に行った。
1780年創業のショーメは創業者マリ=エティエンヌ・ニトが、
1804年にフランス皇帝についたナポレオンの宝飾品を担当。
それ以後、貴族の顧客を獲得、確固たる地位を築いていったという。
鑑賞してみて、ふと疑問に思って調べたことなどをメモ。
日本美術史にアクセサリーが見当たらない
ショーメ展ではティアラ・イヤリング・チョーカー・ブレスレット等、
身につける宝飾品がたくさんあったが、日本の古美術にこういうのないな…。
縄文・弥生・古墳時代の発掘品では種類が豊富だが、
それ以降は宝石や貴金属で身体を飾る宝飾品は、
明治時代まで目立ったものがないように思える。
正倉院の宝物をざっと見たところ、それらしきものは見当たらないし、
ナポレオンと同時代だと櫛やかんざし等の髪飾りくらいだろうか。
パッと思いつく原因は、着物の美しさを追求したから、
指輪がブレスレットが引っかかって糸がほつれたら困る、
というようなところだろうか。
日本文化の謎として頭に入れておこうと思う。
ダイヤモンドの採掘・加工の歴史は?
ショーメの創業者マリ=エティエンヌ・ニト(1750~1809)の時代、
ダイヤモンドの採掘や加工の状況はどうだったのか?
18世紀頃まではインドが唯一のダイヤモンド産地で採掘量はごくわずか。
1730年代にブラジルで鉱山が発見され、年間10万カラットに増加したことで、
アムステルダム、アントワープにはじめてのダイヤモンド加工工場が設立される。
ショーメが誕生したのはダイヤモンドの宝飾品作りが産業化してすぐの頃。
ちなみに南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見されるのは1866年。
その採掘量は1913年で600万カラット。
1979年に発見されたオーストラリアのダイアモンド鉱山は、
ピーク時の採掘量は1994年の4200万カラット。
採掘量からナポレオンの時代は今とは比較にならないほど、
ダイヤモンドが貴重だったと言うことになるだろうか?
ただダイヤモンドを輝かせるためには加工技術が不可欠で、
理想的な輝きとされるブリリアン・カットを確立したのは、
1919年のマルセル・トルコフスキーとされている。
加工によってはじめて美しさが認識されるものだから、
19世紀まではダイヤモンドより他の石の方が喜ばれたのかも。
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