株価に一喜一憂して人間を磨け!/外山滋比古「知的な老い方」

「思考の整理学」で有名な外山滋比古氏が超ベテランの投資家だった!

前回は「思考の整理学」を読み直してみたが、
外山氏が投資について触れている著作を図書館で探して借りてきた。

最近こういう感情を忘れていたかも?と気づいた一節があったのでメモ。

「株など見たこともないのではないかと思われる首相が、暴落した相場にコメントして、株主は「一喜一憂してはいけない」などと教訓をたれたのは笑止だった。一喜一憂しなくて、どうする。それだからこそ、株はおもしろい。始めたら、やめられないのである。持ち株が、上がっても知らん顔、下がっても知らん顔、というようなのは人間ではない。ちょっとした変動に一喜一憂する。それが生きがいというものだ。」

いつからか株価に一喜一憂する感覚がなくなっていた。

月々の資産の上下幅が一般的な月収額を超えるようになってからだろうか。
それとも古典を読み漁るようになり、心が整いすぎてしまったのか。

先日、ワールドカップのベルギー戦をテレビで観ていて、
乾のゴールが決まった時の喜びは、言葉に表せないものだった。
決勝トーナメントで後半2-0からの逆転なんてめったにない!
これは行けるんじゃないか?と立ち上がってテレビにかじりついた。

しかしベルギーの交代策に対応ができず、徐々に不安になりはじめる。
あ、このチームは準備不足だから先発11人+αの連携がすべてで、
相手の変化に対応できる状態にない…、と気がついてからは、
ひたすら失点しないことを祈り続けて、最後の最後に撃沈。。。

大きく気持ちが揺れ動いたあの数十分間は、本当に充実していた。
生きている実感は、一喜一憂の中に宿るものなのだろうか。

だからせっかく個別株投資をしているのなら、
株価に一喜一憂したほうが、お得な人生と言えるかもしれない。

「思うように動いてくれない株価が上がるのを待つのはなかなかの意志を要する。がまんしなくてはいけないことを一喜一憂の間におのずと体得する。しかるべき投資活動をすることによって、人間を磨くことができる。個人の力ではどうすることもできない大理というものがあるという悟りをひらく人もあらわれる。謙虚さを教わる。」

私は就職氷河期に遭遇したがために、
社会に出た後の学びの場を会社に求めることはできなかった。

でも株式投資と向き合うことで人生観を育み、古典でそれを確かめる、
というサイクルを通じて、人生が好転していったように思う。

たとえば証券市場は訳が分からないほど気まぐれだから、
自分の見立てにしがみつかずに、常に考え直す柔軟性が大切であり、
それは古くは老子荘子が説いてきたことでもある。

投資を通じてこうしたオマケが付いてくるのが個別株投資の醍醐味。
やっぱり私は投資信託を探すより、自分で投資するほうが好きだ。

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