人は見たいように世界を歪めてしまう。だから危機は未然に防げない?

この記事は約2分で読めます。

経営危機はできれば未然に防ぎたいものだが、無理な願いだろうか?

前回の記事で「危機感がない社長」が最も危ないという指摘をしたが、
将来の危機に鈍感になりがちなのがヒトの性なのかもしれない。

将来の危機に目を背けないために

たとえば30年以内に70%の確率で首都直下地震が来ると警告されても、
私たちの多くが何の備えもなしに日々を暮らしている。
たしかに迫ってはいるが、いつ来るか分からない危機に対して、
私たちは真剣に向き合うことができない存在なのかもしれない。

そして私たちにとっての100%確実な未来とは、
いつかこの世界から去らなければならないという定めだけだ。
この事実から目を背けるために、未来のことは考えない、
という思考回路が、ある種の防衛本能として働いているのだろうか。

こうしたヒトの性は、ユリウス・カエサルの言葉に集約されている。

「人間ならば誰にでも現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない。 」

ふと思うのだが名経営者と呼ばれる人には相当な読書家が多い。
幅広い教養が思考のワナから抜け出す鍵なのだろうか?

ちなみに教養といってもこむずかしいものではなく、
学生時代の現代文の授業に凝縮されていることに気がつくことが肝要だ。

会計トリックを使って経営危機を煽る

経営危機からの復活の代表例と言えば、日産リバイバルプラン

1999年3月期、2000年3月期に会計方針の変更でV字回復を演出し、
危機感を煽ってトップの求心力を強め、社内の士気を上げることに成功した。

将来的に見込まれる費用や損失を1999年3月期に一括計上することで、
下記のグラフのように谷を深くしたというのがそのトリック。
過剰な赤字の演出がなければ、2000年3月期も本来は黒字ではないだろう。

こうした「継続性の原則」という会計の大原則を踏みにじる行為は、
会計を仕事にしていたかつての私には到底受け入れがたいものだった。

だがこれがなければゆっくりと右肩下がりに赤字が増えていき、
今、日産という会社は存在していなかった可能性もある。

だから将来の危機に目を背けがちな人の性質を考慮に入れて、
社員一丸となって会社を建て直すために有効だったと言えるだろう。

もちろん同じ会社を守るためでも、
経営陣の保身のための、損失を隠すような会計トリックは論外だが。

コメント