古今和歌集から笈の小文へ受け継がれる美意識

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日本の思想・哲学の源流を求めると、

紀貫之
が書いたとされる「古今和歌集」の仮名序にたどり着く。

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言い出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。

和歌(やまとうた)は人の心から芽ばえた言の葉。
この世に生きていれば、様々な想いが生じるものだから、歌を詠まずにはいられない。
鶯や蛙が鳴くのと同じように、人が詠うのは生きることの証といえるだろう。

海外に目を向ければすでに紀元前には、

  • 中国では老子や孔子
  • 孔子と同世代のインドの釈迦
  • 孔子・釈迦と約一世代後にギリシアのソクラテス

が残した言葉をまとめた思想書や哲学書が存在する。

でも日本は長らく文字を持たない社会だったため、
暗証のしやすさからも31文字の和歌にすべての想いを込めてきた。
この国は思想や哲学よりもまずは美意識なのだ。

だから和歌に込められた美意識に触れることでしか、
日本を読み解くことはできないのだろうと考えている。

また古今和歌集から時代を約800年くだった
松尾芭蕉も紀貫之と同じようなことを「笈の小文」に書き記している。

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふ事なし。おもふところ月にあらずといふ事なし。かたち花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

芭蕉にとって風雅の道とは、移りゆく森羅万象に身を委ねることで、
見えるものすべてが花となり、思い浮かべるものすべてが月となる状態。
その心こそが人を人たらしめるものであり、
それは西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶と貫くものは同じだと。

紀貫之が古今集の仮名序の末尾に書いた、

たとひ時移り事去り、楽しび悲しびゆきかふとも、この歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉の散りうせずして、まさきの葛長く伝はり、鳥の跡久しくとどまれらば、歌のさまをも知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも。

後世の人々が大空の月を見るように古今集を振り返って欲しい、
という願いは着実に受け継がれているようだ。

でも今の時代、都会に住んでいると芭蕉の言う風雅は縁遠い。
せめて懐石料理や和菓子で四季を感じていきたいものだ。

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