昨年末にNHKで放送されたAIの番組がおもしろかった。
昨年春に出版された、吉成真由美「人類の未来」の元になった
インタビュー映像をAIを切り口に編集し直したもののようだった。
同書をまだ読んでいない私には嬉しい内容で、番組での登場人物は、
- レイ・カーツワイル
- ノーム・チョムスキー
- フリーマン・ダイソン
AIの話題なのでカーツワイルの話を中心に構成されていた。
カーツワイルの描く未来の人間像
まず昨今話題の「シンギュラリティ」の定義について、
カーツワイル自身の言葉に触れたのは初めてだったのでメモ。
「2030年代には、3億の新皮質モジュールを備えたバイオロジカルな脳と、無限の拡張機能を備えたクラウド内の人工的な新皮質が、一緒になるでしょう。指数関数的成長の法則をもとに計算すれば、2045年までには、われわれの知能は10億倍にもなるはずです。この飛躍的変化のことを、物理学の用語を借りて「シンギュラリティ」と呼んでいます。」
カーツワイルによると脳の「新皮質」は多層構造になっていて、
上の層になるほど知的に高度な働きをする仕組みになっているという。
そしてその新皮質に直接インターネットのクラウドをつないで、
私たちの思考を拡大することで、知能が指数関数的な増加を遂げると予言。
現在はデジタル機器を装着しなければ不可能な
- ヴァーチャル・リアリティー(VR:仮想現実)
- オーグメンテッド・リアリティー(AR:拡張現実)
の世界が脳内に直接構築できるようになるのだという。
シンギュラリティは非理性的(チョムスキー)
こうしたカーツワイルの未来予測に対し、チョムスキーはおとぎ話だと反論。
膨大なデータと高速計算に頼った人工知能は人間の能力とは異なるもので、
「量的拡大が、知能や創造性の本質についての洞察をもたらすという兆候もありません。」
「人間の話となると、「シンギュラリティ」などと称して、まったく非理性的になってしまう。われわれは他の生物を考える場合は、非常に理性的だけれども、自分たちのこととなると、突如として非理性的になってしまう傾向があります。」
と非理性的な話とまで言ってバッサリ。
たしかに人は縁遠い出来事であれば正しい判断ができるが、
身近なことになった途端に思考停止に陥ってしまうものだ。
未来予測は科学の方法ではない(フリーマン・ダイソン)
ダイソンは、サイエンスは本質的に予測できないものだから、
次の発見を予測することはサイエンスの方法ではないと指摘した上で、
こんな見通しを述べていた。
「インターネットは、理解を超えた膨大な情報の集積です。同時にそれは、私たちが見通すことのできない構造と目的を持っているので、超生命体に育っていくということも考えられます。」
個人的に人智を超えた生命体というと証券市場のイメージ。
多くの市場参加者の分析・予測、そして欲望を飲み込み、
1つの生命体のように振る舞いはじめ、暴走すると歯止めが効かない。
そんな投資家目線でインターネット、AIの未来を考えるとうーん。。。
吉成真由美のカーツワイルへの問い
最後にAIの未来に対するモヤモヤは、
インタビューの中でのこんな問いに集約されるだろうか。
「最近の記憶研究の進展によって、人間の記憶がいかに頼りにならない脆いものであるかが明らかにされています。そのようなわれわれの記憶が、AIの補助によって非常に膨大かつ明確なものに変質していったら、今度は創造性のほうが犠牲になってしまうことになりはしないだろうか、という危惧もあるわけですが。」
羽生善治さんが人間と人工知能の違いは「美意識」では?
と指摘していたこととつながるだろうか。
また文化芸術の分野で奥義の伝達方法が口承で行われてきたのはなぜか?
それは時とともに失われる部分があることを前提にし、
余白が生まれることで、そこに新たな創造の機会が生まれるということでは?
人工知能の未来を考えることは、人間にとって大切な能力は何かを
より深く考えるということと同じことなのだろう。
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