3年くらい前に都立中央図書館の蔵書を検索していてふと気がついた。
あの「10万年のなんとかという本なんだっけ?」と検索していて、
このところ超長期の人類史に関する本が増えているなぁと。
最近のベストセラーも「サピエンス全史」だし、
同じ内容で切り口を変えたものが次々と出版されている。
もしかするとこの動きの背景には、
地球上における人類の存在の正当性を主張したい!
というわたしたちの想いがあるのかもしれない。
歴史を紐解けば社会や文化が自らの系譜や起源を求める時には、
権力、国家、人種の正統性を訴え、本質をゆがめてきたように思える。
日本史においてすぐに思いつくのは、
- 大和朝廷と天皇の正統性を訴えた「古事記」「日本書紀」
- 南北朝時代に南朝の正統性を訴えた「神皇正統記」
- 源氏や平氏の血筋にこだわった戦国武将
このほかにも江戸時代には、漢民族国家「明」の滅亡を受けて、
これからの中華(世界の中心)は日本が受け継いだのだ!
というような国家意識が見え隠れする古典が多いように思う。
また最近ヨーロッパの「アーリア神話」に興味を持ったのだけど、
ユダヤ・キリスト教では人間がアダムという共通の父から生まれ、
族長ノアとその息子であるヤペテ、セム、ハムに分岐したと説明。
そしてそれが後に、
- ヤペテの子孫…白人
- セムの子孫…黄色人
- ハムの子孫…黒人
と仕分けされてゆき、
インド・ヨーロッパ語族の共通の祖先はアーリア人とする学説と結びつき、
ヨーロッパ人を「アーリア」と「セム」とで優劣をつける人種差別へと繋がった。
やがてドイツ人の正統性を主張するヒトラーに受け継がれる。
「アーリア人は人類のプロメテウスである。」(ヒトラー「わが闘争」)
こうして歴史を振り返ると、人類史本の流行には何か違和感がある。
そんなことを言っている私自身が日本の歴史文化に傾倒したのは、
日本企業への投資を正当化したいからじゃないか?という疑いもあるのが…。
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