「みかわ是山居」の早乙女哲哉氏の古稀記念講演会が東京大学で開催された。
先月、早乙女氏の著書を読み、初めてお店を訪れ、その天ぷらに感動。
勢いそのままに講演会へ突撃。前日の魯山人シンポといいグルメ講演日和だ。
美食家の山本益博氏の進行で、
タイトルの「たいしたことない」は「鯛は天ぷらにしたことがない」
という話から幕を開けた。
以下にざっとその内容をメモ。補足にちょこっと文献の引用も追加。
なぜ天ぷら屋に?
すきやばし次郎の寿司はこれまで7,200回食べた。
小学生の頃から寿司が大好きで本当は寿司屋になりたかった。
寿司屋の面接の前に食事をした天ぷら屋(湯島の天庄)に就職。
給料が高い方がいいからと天ぷら屋でもいいかなと。
当時の月給は、
- 小学校の先生…7,000円
- 天ぷら屋…30,000円
- 寿司屋…20,000円
早乙女さんの初任給は9,000円だった。
江戸前とは?
一般の人は東京湾で獲れた魚を料理するのが江戸前だと思ってる。
江戸時代は羽田から葛西に16の漁業組合があった。そこで扱った魚が江戸前。
東京湾には、
- 入り江が狭く、中が広いから、塩分の濃度が低く、波も穏やか。
- 250河川が流れ込み、植物性プランクトンを運んでくる。
という特徴があり、皮が薄く、骨も薄いお公家様のような魚が育つ。
これが天ぷらにピッタリの魚。
もちろん魚だけでなく作る人の生き様が江戸前でなければ。
もともと江戸前の仕事といえば鰻の調理を指した。
江戸前で獲れた鰻は脂がのっているから蒸してから焼いた。
江戸は蒸す、関西は蒸さないという話ではなく、最善の方法を選ぶことが江戸前だ。
一尺五寸の「間」
天ぷらを揚げるときに使う箸の長さは一尺五寸(24cm)。
カウンターの広さや調理スペースをはじめ、店のすべてが一尺五寸を基本に設計。
間・呼吸・リズムの基本が一尺五寸だと考えている。
ものづくりは自分の中にリズムがないといいものはできない。道具や材料は二の次。
天ぷらは脱水作業
ぐい飲みに半分くらいの水を油に落として、鍋の油が大爆発。
鍋の中の油の三分の一が吹っ飛んだのを見て、油の脱水力に気が付いた。
蒸すと焼くを同時にするのが揚げるということ。
油が直接調理するのではなく、衣と魚の水分で蒸して調理し、油で焼く。
「揚がった天ぷらを見ると、水で溶いたはずの衣に、なにも水分が残っていないことが分かります。つまり、油には脱水する力があるわけです。・・・普通、ものから水分が抜ければ、しぼんでしまいます。ところが、天ぷらの種は、脱水してもしぼみません。入れたそのままの状態で、揚がるのです。なぜでしょう? 油が入った分だけ水が出る。すなわち、水と油が入れ替わったからなのです。これを私は、「交換現象」と呼んでいます。」(早乙女哲哉「天ぷら道楽」より)
衣を「解く」
ただ「溶く」ではない。
空気・粉・水・空気・粉・水の羅列になるように衣を解く。(粉・粉・粉となるとグルテン発生)
そして脱水作業で水を空気に。空気・空気・粉・空気・空気・粉に揚がるとサクサク。
一番上の層をちょうどよく、次の層を少し薄めに、一番下の層はもっと薄くつくる。
箸を入れるたびに変化するから、最初からすべての層を完成させてはダメ。
揚げる前に生粉を打つか打たないか
キスは身の方にだけ生粉を打って、皮の方には打たない。
両面の水分の出方が均一になるようにしている。
キスのおいしさを邪魔しているのは水分。キスは水分を15%ほど抜くのが一番おいしい。
穴子などぬるぬるの魚には生粉は打たない。うろこが焼けたらこおばしくなる。
水分をコントロールすることで味が決定する。甘さは温度で、香りは火の入れ方で。
崖を落ちる寸前の立ち位置で仕事をする
生でぐちゃぐちゃの天ぷらや炭になった天ぷらも作ってみる。
崖を落ちる寸前、両極端の仕事をやらないと真ん中は見つからない。
はじめからこの辺でいいや、と挑戦しないと何も分からない。
かきあげ
海老・キス・穴子と揚げていくよりも、最後のかきあげ1個揚げる方が疲れる。
それだけ集中しても、うまくいかないのがかきあげ。
貝柱の間の衣には火をとおし、貝柱には火を通さず余熱でできる程度に。
卵を少し多めに入れて、衣に早く火が通るように。
職人もデータの積み重ね
昭和39年頃に芸大を訪ねた時、「先生」と「職人」の差が気になった。
データの積み重ねる先生と比較して、職人はものづくりの意識の低い。
アーティストと呼ばれるくらいまで自分の仕事を高めたい!!と思い、
今がベストか?と自らに問うようにした。そうすることでブレがなくなる。
道具
天ぷらの粉箸は自分で竹を削って作る。
今使っている包丁は44年目。包丁は指の先にある触覚。
かき揚げを作るための器は浅野陽先生の作。
是山居の由来
江戸のメインストリート御成街道沿いに是山居を開店して7年。
江戸前をやるならこの場所で、と35年前から準備していた。
今は不利な場所だが、カッコ良くやせがまんしてこその江戸前。
是山居の茶室は、昔のモノマネではないものを作りたかった。
楽しい会話ができる空間を目指して、やわらかい形を探して卵形に至った。
是山居の茶室に名前をつけてもらおうと浅野先生を訪ねるも、亡くなる1週間前。
浅野先生が住んでいた三井家の元別荘を「是山居」と命名。その名前をいただいた。
是山居。これこそ山の住まいという意味。
その由来は道元「正法眼蔵」の「山これ山にあらず、山これ山なり」。
「古仏云、山是山水是水。この道取は、やまこれやまといふにあらず、山これやまといふなり。しかあれば、やまを参究すべし、山を参窮すれば山に功夫なり。かくのごとくの山水、おのづから賢をなし、聖をなすなり。」(正法眼蔵・山水経より)
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