蕎麦懐石「玄」
昨年とても感銘を受けた奈良の蕎麦懐石「玄」。
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奈良で蕎麦の求道者に出会い、江戸時代の「蕎麦全書」を読む。(17/04/18)
その後、何かのテレビ番組で、市川海老蔵(11代目)がここを訪れ、
生前の市川團十郎 (12代目)が認めた2軒のうちの1軒と語っているのを見た。
たしかにその気持ちはよく分かり、京都への旅が目的だったにもかかわらず、
蕎麦懐石をまた食べたいから奈良まで足を延ばすことにしたほど。
ご主人は毎日、石臼を手挽きしながら、その日の感触で、
様々な産地の蕎麦の実を加えて、蕎麦を完成させると教えてくれた。
臼と奈良の出会い
日本史に初めて臼が登場するのは610年。
朝鮮からやってきた僧、曇徴が造った碾磑が日本初では?
という記述が日本書紀に残っている。
ちなみに碾磑(てんがい)とは水力を利用した臼のこと。
また天平時代の姿を今に伝える東大寺の転害門(てがいもん)は、
碾磑門とも呼ばれ、この門の近くに製粉所があったとも言われている。
ゆえに臼の歴史にかかせない奈良でいただく石臼挽きの蕎麦は、
奈良にふさわしい美食なのである。
白(つくも)
続いて「臼」ではなく「白」という店名の日本料理屋での昼ご飯。
コース名の「一汁三菜」に似つかわしくない、視覚に訴える素晴らしい料理だった。
後で調べてみると、料理長の西原理人氏は「京都嵐山吉兆」の出身で、
華道や茶道、書道を学び、日本料理に芸術性を追求されている方のようだ。
ちなみに店名の「白」を「つくも」と読ませるのは、
「百」から「一」を取り除いた字が「白」であり「九十九」だから。
完全な「百」ではなく、余白を残すところに日本の美意識があり、
それを店名にしてしまうなんて、ここも奈良の旅に欠かせない美食だ。
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