自ら選ばず、流されることも大事

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どんなに想いを込めても、この世界は望んだように微笑み返してくれない。
幸せばかりを願う、欲深き心には、災いが忍び寄ってくるものなのだ。
そう悟った今の私の願いは、心静かに生きること。
そのためには、自ら選ばず、流されることも大事だと思うようになった。

たくさんの情報を手に入れ、たくさんの選択肢がある、豊かな時代。
でもその一方で、後になって自分の選択に後悔しやすくなった
選ばなかった過去が美しく見えてしまうのだ…。

また、自らの意志を持って選ぶと、自分の判断に執着してしまう
想いを込めれるほど、あきらめなければいけないのに、断ち切れない。
投資の失敗でもよく起こる現象。企業分析はテキトーな方がいいのだ。

だから、できるかぎり主体的に選ばない、という姿勢も重要なのだ。
無気力に生きる、というのではなく、糸井重里さんが話していた
口説く側ではなく、口説かれる側に」という考え方が近いだろうか。

どうしても自ら選択しなければいけないときは、
これがいい」という強い想いは捨て「これでいい」と小さくあきらめる。
「これがいい」と欲望を追求すれば、心の余裕を失ってしまうから。

何もかもがうつろいゆく無常迅速なこの世では、
力強さとは無縁の弱さをだきしめることが、心静かに生きる秘訣だろう。
そして自分をなくすことで、本当に大切なものが見えてくるかもしれない。

コメント

  1. 三匹のこぶた より:

    たくさんの選択肢に、様々な情報、自由に選ぶことの出来る権利など、これらを手に入れた私達は確かに幸せではあるけど、諦めのつかなさという点では不幸なのかも。
    よく「ヨーロッパ人はいくら努力しても貴族になれないことを知っているから、人生を諦観し楽しむ余裕が出来る」というけど、ある程度の制約や他者からの干渉などで、自らの意志を貫けない中での選択の方が、上手く折り合いをつけやすいのかもしれませんね。
    ちょうど選択の渦中にいて毎日悩んでいたので、今回の記事、大変参考になりました。
    (…と言っても他人から見たら些細かつ恵まれた贅沢な悩みなのですが、ついつい最善(後で出来るだけ悔やまない方)を選びたがるんですよね)

  2. まろ@管理人 より:

    お役に立ててうれしいです。こんなコメントがいただける瞬間にブログで文章を公開していて良かったなぁー、って実感できます。
    コメントありがとうございました。