2年前に紹介した内容だけど、最近になって心から反省し、
世阿弥を例に「やはり人生50年だ!」と周囲に力説してるので再編集。
能の大成者、世阿弥の書いた能楽論「風姿花伝」。
その第1章に掲げられる「年来稽古条々」。
年齢ごとの能の心得を伝えるものだけど、人生論として捉えると深い。
世阿弥は人生を7分割して語る。
7歳、12~13歳、17~18歳、24~25歳、34~35歳、44~45歳、50歳以降。
キーワードは「時分の花」「まことの花」。
- 時分の花…そのとき限りの魅力
- まことの花…決して散ることのない魅力
ここでは24~25歳、34~35歳、44~45歳の3期間を要約して紹介。
24~25歳の頃は、
「一期の芸能の定まる初め」(一生の芸が決まる初めの時期)。
デビューしたての頃は周囲の称賛を得ることもあるが、
それは一時的な珍しさのもたらす魅力にすぎない。
「見る人の一旦の心のめずらしき花なり。」
しかし本人が勘違いしてしまうと…
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり。」
一時的な魅力(時分の花)に自分を見失っていては、
後に本当の魅力(まことの花)を手にするのは難しいだろう。
34~35歳の頃は、
「盛りの極め」(芸の絶頂期)。
「この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふ程もなくば、いかなる上手なりとも、いまだまことの花を極めぬ為手と知るべし。」
この時期までに世に認められなければ、「まことの花」にはほど遠い。
「上がるは三十四五までのころ、下がるは四十以来なり。」
「この頃は、過ぎし方をも覚え、また、行く先の手立てをも覚る時分なり。」
芸が向上するのは、34,5歳まで。40歳以降は落ちていくのみ。
34~35歳までにどう生きてきたかで人生が決まる、ということ。
44~45歳の頃は、
「身の花もよそ目の花も失する」(衰えが隠せない時期)
「もしこの頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ。」
この時期、衰えてなお、輝くものがあれば、それこそが「まことの花」。
そして世阿弥は、次代の担い手を育てる時期でもあるとし、
「我が身を知る心、得たる人の心なるべし。」
自らの限界を知る心こそが、奥義に達した者の心得である、とまとめる。
60歳まで現役で舞台に立ち、80歳まで生きた世阿弥。
現代人と変わらない人生だけど、世阿弥の認識では人生50年。
たとえ寿命は伸びても、若く元気な時期が伸びたわけではない。
せっかく生まれてきたから、何かしら生きた証を残したいもの。
20代にはこの世はお金がすべて!と大投資家を目指してみたり、
最近では何か研究テーマを定めてノーベル賞をとるぞ!なんて…
イバラの道を爆走して大破の連続、、、というのが私の人生。
そんな私もあと1ヶ月ちょっとで35歳になっちゃう。
なんてことだ!!
この記事も踏まえた100円の小冊子つくりました。
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コメント
こんばんは。7つのステージ。確かに説得力があります。
でも、実年齢とかならずしも一致して考える必要は無いのでは?と私は思います。世阿弥さんは室町時代の人。人生50年の時代の方ですよね。現代ならば、×1.6~1.8の換算でちょうどいいぐらいではないでしょうか。例えば、文壇の世界の一例を。
「バッテリー」で有名になったあさのあつこさん、元専業主婦が、40代デビューで、児童文学の世界では知らぬ人のない超有名人になりましたよ。他にもね、探せば色々な業界で遅咲きの花はいくらでも見つかるものです。
実年齢や外見に囚われず、青雲の志を忘れずにいたいですね。
「現代ならば、×1.6~1.8の換算」
これに触れるかどうか迷ったのですが、
世阿弥は、
・80歳まで生きた
・60代前半までは舞台に立っていた
ということもあり、
このままの年齢で考えることにしました。