徒然草217段で禁欲による蓄財に疑問を投げかけた兼好法師。
では彼が理想とした金銭感覚はどのようなものだったのだろう?
徒然草60段に理想の変人、盛親僧都が描かれている。
芋が大好物の高僧で、お金があれば芋に使ってしまう。
彼の貧しい暮らしを見かねて、師匠が多額の遺産を遺してくれたけど、
大好きな芋を買うために、あっという間に使い果たしてしまう。
そんな彼の行動を人々は
「まことに有り難き道心者なり」
と賞賛する。
彼は美男で力も強く、博学で雄弁、何をやらしても完璧だけど、
「世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふということなし。」
世俗を無視して、勝手気ままに生きる変人で人に合わせようとしない。
昼夜を問わず、食べたい時に食べ、寝たい時に寝るといった調子。
「尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。」
常識外れもいいところだが、人に嫌われることなく、何をやっても許された。
そして最後に兼好の一言。
「徳の至れりけるにや」
人徳がこの上なく優れていたからであろうか?
恋人の死をきっかけに(?)、世の無常を痛感した兼好法師。
さまざまな切り口で今この時の大切さを説き続けた彼にとって、
欲を捨て、将来のためにお金を貯め込むことは信じがたい愚行。
目の前に大好物の芋があれば、後先考えずに買って食べる!
今日が人生最後の日だとしたら、これこそが理想的なお金の使い方。
私はお金があれば「芋」じゃなくて、「株式」を買ってきた。
投資とは「未来」に賭ける行為だから、盛親僧都とは真逆。
さらに世間では「長期」投資家に分類され、コメントを求められたり…。
(保有期間が長いもので日本株に10年、米国株に8年経つ会社がある)
何が良い生き方なのかは、死んでみるまで分からない。
ただ幸せなお金の使い方は間違いなく盛親僧都だよね。
だから、おいしさを共有できる人がいる時くらいは、
思い切って「食」にお金を使っちゃおう!と誓うのだった。
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