社会的投資の普及や研究を進める「ARUN Seed」の記事で、
ブログの過去記事を紹介してもらった。
この機会にその後考えたことを踏まえ、頭の中を編集し直してみる。
ARUNの記事でも紹介されているように、
日本の投資文化は奈良時代にその原型が見られる。
遣唐使で中国から灌漑・土木の技術を持ち帰った僧侶の中には、
- 土地の豪族から出資を募る
- お粥を施す場をつくり、窮民を集める
- 集まった人々を指揮して灌漑・土木工事を開始
- 農業用水路を掘り、堤を築き、道を開き、橋を架ける
- その地が潤うことが、豪族にとっての投資リターン
というような事業を行う者がいた。
歴史用語では「勧進(かんじん)」と呼ばれるが、
その実態は現代で言うところの「社会的投資」の形に近い。
そしてこの仕組みの「5.」の投資リターンを
「善行を積めば菩薩となり、地獄行きを免れる」
という精神的なリターンに置き換え、
東大寺の大仏建造を成功に導いたのが行基だ。
以後、勧進上人(勧進聖)が人々から寄付を募り、
公共工事や災害後の復興の担い手のなった例が見受けられる。
また経済活動においても、宗教とのつながりが深い。
虹が立ったところに「市」を立て、交易を行う習慣があり、
古くは平安時代から室町時代あたりまで続いていたらしい。
虹は天と地を結ぶ橋であり、神がそれをつたって舞い降りる。
だからやってくる神様を喜ばすための経済活動という観念だ。
これはマックスヴェーバーが唱えた資本主義の精神に極めて近い。
古くから密接につながっていた経済活動と宗教。
しかし戦国乱世においてはその経済力ゆえに武装化し、
天下太平後には宗教勢力から経済力を奪うことが急務となる。
そして江戸時代の寺請・檀家制度により、
経済と宗教は切り離され、宗教としての仏教の崩壊もはじまる。
- 江戸時代に寺請・檀家制度の確立。
- 農地を担保に檀家に高利貸してやがて地主へとなり、
- 寺院経営は収入源を小作料に頼る形になった。
- だが戦後のGHQの農地改革で収入源を失う。
- 檀家へお布施や墓地管理料を要求せざるを得なくなり、
- 葬式仏教、坊主丸儲けと非難され、人々の心が離れた。
日本が世界に比べて社会的投資が遅れているとするのなら、
早くに経済と宗教が分断されたことが原因ではないかと思う。
社会的責任投資(SRI)の分野の始まりは、
欧米の教会・宗教団体の資産運用方針がきっかけだったし。
このあたりの歴史的な経緯を踏まえ、
明治以降の日本の資本主義を読み直せたら面白いだろうなぁ、
と思いつつも、まだ手をつけられていない。
主な参考文献
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