古代日本は社会的投資の先進国家。だがその後は?

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社会的投資の普及や研究を進める「ARUN Seed」の記事で、

ブログの過去記事を紹介してもらった。
この機会にその後考えたことを踏まえ、頭の中を編集し直してみる。

ARUNの記事でも紹介されているように、
日本の投資文化は奈良時代にその原型が見られる。

遣唐使で中国から灌漑・土木の技術を持ち帰った僧侶の中には、

  1. 土地の豪族から出資を募る
  2. お粥を施す場をつくり、窮民を集める
  3. 集まった人々を指揮して灌漑・土木工事を開始
  4. 農業用水路を掘り、堤を築き、道を開き、橋を架ける
  5. その地が潤うことが、豪族にとっての投資リターン

というような事業を行う者がいた。

歴史用語では「勧進(かんじん)」と呼ばれるが、
その実態は現代で言うところの「社会的投資」の形に近い。

そしてこの仕組みの「5.」の投資リターンを

「善行を積めば菩薩となり、地獄行きを免れる」

という精神的なリターンに置き換え、
東大寺の大仏建造を成功に導いたのが行基だ。

以後、勧進上人(勧進聖)が人々から寄付を募り、
公共工事や災害後の復興の担い手のなった例が見受けられる。

また経済活動においても、宗教とのつながりが深い。

虹が立ったところに「市」を立て、交易を行う習慣があり、
古くは平安時代から室町時代あたりまで続いていたらしい。

虹は天と地を結ぶ橋であり、神がそれをつたって舞い降りる。
だからやってくる神様を喜ばすための経済活動という観念だ。

これはマックスヴェーバーが唱えた資本主義の精神に極めて近い。

古くから密接につながっていた経済活動と宗教。
しかし戦国乱世においてはその経済力ゆえに武装化し、
天下太平後には宗教勢力から経済力を奪うことが急務となる。

そして江戸時代の寺請・檀家制度により、

経済と宗教は切り離され、宗教としての仏教の崩壊もはじまる。

  1. 江戸時代に寺請・檀家制度の確立。
  2. 農地を担保に檀家に高利貸してやがて地主へとなり、
  3. 寺院経営は収入源を小作料に頼る形になった。
  4. だが戦後のGHQの農地改革で収入源を失う。
  5. 檀家へお布施や墓地管理料を要求せざるを得なくなり、
  6. 葬式仏教、坊主丸儲けと非難され、人々の心が離れた。

日本が世界に比べて社会的投資が遅れているとするのなら、
早くに経済と宗教が分断されたことが原因ではないかと思う。

社会的責任投資(SRI)の分野の始まりは、
欧米の教会・宗教団体の資産運用方針がきっかけだったし。

このあたりの歴史的な経緯を踏まえ、
明治以降の日本の資本主義を読み直せたら面白いだろうなぁ、
と思いつつも、まだ手をつけられていない。

主な参考文献

仏教と資本主義(新潮新書)
新潮社
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寺院消滅
日経BP
¥959(2024/03/29 22:32時点)

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