小倉百人一首13番目に収録される陽成院の和歌。
筑波嶺の 峰より落つる 男女川
恋ぞつもりて 淵となりぬる
筑波山の峰から流れる男女川の水が集まり、
やがて淵となるように、
あるかないか小さな恋心が積もり積もって…
今では君のことがとても愛おしい。
恋に落ちる。”Fall in Love” なんて表現がよく使われる。
でもそれはちょっとした勘違いなのだと思う。
今年はじめに交際もしていない段階で、
「私がこの先、結婚するなら○○さんしかいない!」
と直感をそのまま口に出したことで進んだ私の結婚話。
そこだけを切り取ると瞬間的なひらめきのように思える。
でもよくよく考えるとその数ヶ月前の鎌倉投信訪問あたりから、
お互いに「なんだかよく分からないほど気が合う人」
という認識が徐々に積み重なっていたからこその話。
和歌に詠われた恋の多くは、実感を込めたものではないと思う。
恋を通して世界を読み解こうと哲学していたように感じるから。
でもこの陽成院の歌の後半部には実感がこもっている。
藤原義孝の和歌ともに私が百人一首で好きな歌のひとつだ。
作者、陽成天皇(869~949)は9歳で57代天皇に即位。
でも17歳で廃位に追い込まれ、その理由は「物狂」とされる。
残された和歌とはイメージがかけ離れているし、
発狂した人が60年超の隠居生活の末、80歳まで生きられるの?
最近の研究では、史上初めて関白となった藤原基経の陰謀で、
後の歴史書が書き換えられた、なんて説もあるんだって。
(ちなみに基経の四世代後に藤原氏・絶頂期の道長が登場)
そういえば藤原氏が政治の実権を握ろうとしたこの時期、
日本列島は地震や火山の噴火が頻発していた。
規模の大きいものを地図に示すと以下の通り。
東日本大震災後に連動して富士山の噴火や南海トラフ地震?
という話になるのは、この時期を再来を指摘しているんだ。
天変地異が頻発した時代ゆえに、強力な指導者を必要とし、
藤原氏の摂関政治が完成に向かう、なんて捉え方もできるかも。
その裏ではこんなに素敵な和歌を残した陽成天皇が闇へ葬られた。
陽成天皇廃位から350年後に編さんされた百人一首。
藤原定家はどんな想いで、この歌を選んだのだろう?
先祖が犯した罪を悟り、鎮魂の想いを込めていたのかもしれない。
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