日本でマツタケが食べられるようになったのは、
以下のような経緯があると田家康氏は説明する。
東大寺建立には7万本のスギ・ヒノキが使われたように、
- 木造建築のための大規模な森林伐採
- スギ・ヒノキ林の後にアカマツ林が形成
- マツタケは樹齢20~60年のアカマツに寄生
- マツタケを豊富に収穫できるようになった
という流れでマツタケが秋の味覚に定着したという。
松茸を題材にしたとされる万葉集(2233)の和歌、
高松の この峯も狭に 笠立てて
みち盛へたる 秋の香のよさ
が関係はあるのだろうか。
ただ私の知る限り平安時代の古典に、
マツタケを美味しく食べた記述はあまり見かけず、
平安末期に書かれたとされる「今昔物語集」では、
ヒラタケが美味なキノコとして描かれている。
平安時代から美味として定着していたら、
清少納言が「枕草子」で触れないはずがないのだが…。
鎌倉時代になると兼好法師が「徒然草」で、
宮中の食材としてマツタケに言及している。(118段)
きのこと日本人の関係は古く、
北海道から東北地方の縄文時代の遺跡からは、
「きのこ型土製品」が多く出土している。
- 関連論文: 工藤伸一「縄文時代のきのこについて」
世界最古の料理の形跡が出土した遺跡は、
青森・津軽半島の「大平山元Ⅰ遺跡」らしいから、
この頃すでにきのこを食べていたのかも。
毒キノコの判別に模型作ってたんじゃないかな。
このように日本のキノコ食には歴史があるから、
調理法はもちろん栽培や加工に様々な知恵がある。
たとえば木にキノコ菌を植え付ける原木栽培は、
世界に先駆けて江戸時代初期には始めていたし、
シイタケを天日干しして栄養価を高める加工法もある。
上場企業にホクトのようなきのこ企業が生えているのは、
もしかすると日本ならではなのかもしれない。
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