平安時代初期には必ずしも印象が良くなかった月見。
しかし平安末期になると反転しているのはなぜか?
平安末期を代表する歌人、西行(1118~90年)が、
これでもか!というほど数の月の和歌を詠み、
願はくは 花のしたにて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
という願いの通り、桜が咲き誇る満月の日に亡くなる。
このことに当時の文化人が度肝を抜かれ、
「月」と「桜」のイメージが一変したのでは?
私の頭の中では今のところ、こんな整理の仕方になっている。
もうひとつ気になっているのが「阿弥陀信仰」。
これは鎌倉時代に描かれた「山越阿弥陀図」と呼ばれる仏画。
阿弥陀如来が極楽浄土から臨終間近の信仰者を迎えにくる。
そのご来迎の際に山を越えてやってくるという設定だ。
これが山の向こうから昇る「月」とイメージが重なった?
阿弥陀信仰といえば死期を悟った藤原道長(966~1028年)が、
九体の阿弥陀如来の手と自分の手とを糸で繋ぎ、
浄土を願いながら往生したといわれているのが有名。
そして仏教の世界観でのこの世の終わり「末法思想」。
日本での1052年が末法元年と人々に恐れられる中、
「南無阿弥陀仏」を唱えれば成仏できるという手軽さがウケ、
阿弥陀信仰が一気に広まっていったと言われている。
このあたりのどこかの時代で、
阿弥陀如来は山を越えてご来迎と考えられるようになり、
祈るような想いで月を見上げる感覚と結びつくのかも。
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