その起源は憂いに満ちた心を出入りしていた「花鳥風月」。
でも安土桃山時代以降、花鳥は障壁画、蒔絵、着物に舞い降り、
「花鳥の使い」が持っていた、あでやかな色合いを取り戻す。
そして今では、花鳥風月に関心を寄せれば、
浮世離れした「風流な人」と羨望と嘲笑のまなざしで見つめられ、
風流が度を超せば、風狂や風癲(フーテン)と称されるようになる。
「生活感がない」と称されることが多い私はおそらくこの仲間。
風格、風采、風貌、風姿などなど…人の様子に吹き抜ける風。
このほか時の移ろいや世の流れ、人の噂に至るまで、
風のつく言葉は数多く、日本人は格別「風」に関心を寄せてきた。
日本人にとって言葉は風に舞う「言の葉」だったわけだ。
そして花鳥風月のなかで唯一、目に見えない「風」。
日本の美意識では「花(桜)」や「月」が際立っているから、
「風」を見過ごしちゃったけど、ふと目にした興味深い和歌を2首。
- 白妙の 袖の別れに 露おちて 身にしむ色の 秋風ぞ吹く
- 身にしみて あはれ知らする 風よりも 月にぞ秋の 色は見えける
1首目は藤原定家(新古今和歌集1336)。
身にしみる色の秋風が吹き抜ける描写。色づいた風…
2首目は西行(山家集342)。
秋の色は風ではなく月だ、と月愛好家の西行は主張している。
当時の認識では風は秋色だったのかな。。。
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