温暖だったと思われる西暦1000~1200年に着目し、
歴史や古典と気候変動を掛け合わせる遊びの第三弾。
平安末期を天気図みたいに表現すれば、
勢力図が西高東低から東高西低へと変わったのが特徴。
- 東北では奥州藤原氏が繁栄し、
- 関東では源氏が復活。打倒平氏に立ち上がる。
- 西日本を支配する平家の没落。
高緯度の東日本が温暖化の恩恵を受けたことが背景だ。
藤原清衡に始まる奥州藤原氏の繁栄(1103~89年)は、
豊富な金にあり、中尊寺金色堂が象徴として紹介される。
金山は昔からあったけど採掘の労働力確保がネック。
それを可能にしたのが温暖化による収穫量upだった。
また同じ時期、西日本では収穫量が激減。
「方丈記」には養和期(1181年)の飢饉が描かれている。
「養和のころとか、久しくなりて、たしかにも覚えず。二年があひだ、世の中飢渇して、あさましき事侍りき。或は春・夏ひでり、秋・冬、大風・洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとくならず。」
つまり気候変動による西日本の不作と東日本の豊作が、
源平合戦(1180~85年)の勝敗を分けたと言えるかも。
最後に平安末期だけでなく、
もっと長い目で見た日本史と気候の関係を
田家康「気候文明史」の一節より。
「日本の政権が交代する推移をみると、中世温暖期には鎌倉幕府が築かれ、一方で寒冷化すると14世紀以降には北関東を拠点としていた足利市が幕府を京都へと移す。そして16世紀後半から17世紀前半の寒さが小休止した時代に江戸幕府が開かれ、再び厳寒期となる18世紀後半以降に東日本の経済力が低下し、西日本の薩摩や長州による倒幕が果たされる。」P187
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