伏見稲荷大社の異空間を演出する朱色の鳥居。
朱色は魔除けや不老長寿を象徴する色として、
古代より宮殿や神社仏閣に多く用いられてきた。
古典を読み解けば、古事記や風土記の中に登場する
「血原」「血浦」「血田」と名付けられた地は
水銀の産地を示しているし、
青丹よし 奈良の都は 咲く花の
匂ふが如く いま盛りなり
を代表として万葉集に登場する枕詞「青丹よし」から、
都の建造物が青や赤で彩られていたことが想像できる。
この朱色は中国の錬丹術に由来し、
硫化水銀の粉末である辰砂(丹砂・朱砂)が原料。
これを古代日本では「丹(に)」と呼んでいた。
水銀は奈良の大仏の金メッキにも使われたが、
錬金術ではなく錬丹術と名付けられたのは、
「金」よりも「丹」を重要視されていたからだろう。
現在の地名に「丹生(にう)」とつく地域は、
かつて水銀採掘が行われていたことを示し、
高野山の周辺には、
といった丹生の名がついた神社が多数存在する。
松田壽男「古代の朱」によれば丹生神社は全国160社あり、
そのうち78社が高野山周辺のものだという。
この地が日本有数の水銀の産地だったことがうかがい知れる。
もしかすると空海が高野山を選んだ理由は水銀鉱脈?
空海は経済感覚にも優れた人物だったのかもしれない。
ちなみに高野山の麓には九度山がある。
関ヶ原の戦いの後に真田幸村が配流された地だ。
後に幸村が大坂の陣で赤備えを率いて現れるのも、
この地の豊富な水銀に支えられていたということだろうか。
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