東京の中心が「空っぽ」の不思議

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皇居の西側をお花見さんぽ。

「桜だもん」という名に惹かれて、桜田門から歩いてみたが、

実際に桜が増えるのは半蔵門あたりからというドジっぷり。

2014-04-01-14-13-00

堀の向こうには未開発の広大な土地が広がっている不思議。

世界の大都市、東京の中心には森があり、野生のたぬきもいる。

かつて来日したフランスの哲学者は、

わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、<<いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。>>を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市全体がめぐっている。」 ---ロラン・バルト「表徴の帝国」

中心に何もない東京の都市構造に衝撃を受けたのだという。

日本の美意識には「引き算の美学」とも言える方法がひそんでいる。

あえて隠したり、省いたりすることで、受け手の想像力にまかせる。

そうすることで、すべてが限りあるこの世界に無限の美を演出する。

"True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete."

(本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる。) 岡倉天心「茶の本」

こうした感覚がどこから来たのか考えてみると、

日本の神様の性質と神社へお参りする感覚にたどり着く。

日本の神様は常駐する神ではなく、たまにやってくる来訪する神。

そしてやってきた神様が泊まる仮の宿が神社だ。

そんな神社で私たちは神様が来るかもしれない空っぽの中心に、

自分の願いや想いを投げ入れて帰ってくる、という参拝をする。

何もないからこそ、何かで満たされる可能性が残されている。

都市の中心に何もない東京の不思議は、

日本の伝統を映し出す不思議な空間なのかもしれない。

コメント

  1. まーさん より:

    タイトルを見て、バルトかなあと思いましたが、ホントにそうでしたね。
    桜と菜の花、綺麗です。思えば桜も空虚な花かと…
    中心を欠いた日本の発想の原点は神社にあるって、なるほどですね、面白いです^ ^

  2. まろ@管理人 より:

    タイトルだけでバルトを連想されるとは…恐るべし!
    でもバルトの話はその論調がなんだかおもしろくないので、神社の話をくっつけて私なりに編集してみました。

  3. >本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる
    美しさは、ありがたさを伴うのかもしれないと思います・・・一期一会のありがたさと美しさ、という感じで。