皇居の西側をお花見さんぽ。
「桜だもん」という名に惹かれて、桜田門から歩いてみたが、
実際に桜が増えるのは半蔵門あたりからというドジっぷり。
堀の向こうには未開発の広大な土地が広がっている不思議。
世界の大都市、東京の中心には森があり、野生のたぬきもいる。
かつて来日したフランスの哲学者は、
「わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、<<いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。>>を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防御されていて、文字どおり誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市全体がめぐっている。」 ---ロラン・バルト「表徴の帝国」
中心に何もない東京の都市構造に衝撃を受けたのだという。
日本の美意識には「引き算の美学」とも言える方法がひそんでいる。
あえて隠したり、省いたりすることで、受け手の想像力にまかせる。
そうすることで、すべてが限りあるこの世界に無限の美を演出する。
"True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete."
(本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる。) 岡倉天心「茶の本」
こうした感覚がどこから来たのか考えてみると、
日本の神様の性質と神社へお参りする感覚にたどり着く。
日本の神様は常駐する神ではなく、たまにやってくる来訪する神。
そしてやってきた神様が泊まる仮の宿が神社だ。
そんな神社で私たちは神様が来るかもしれない空っぽの中心に、
自分の願いや想いを投げ入れて帰ってくる、という参拝をする。
何もないからこそ、何かで満たされる可能性が残されている。
都市の中心に何もない東京の不思議は、
日本の伝統を映し出す不思議な空間なのかもしれない。
コメント
タイトルを見て、バルトかなあと思いましたが、ホントにそうでしたね。
桜と菜の花、綺麗です。思えば桜も空虚な花かと…
中心を欠いた日本の発想の原点は神社にあるって、なるほどですね、面白いです^ ^
タイトルだけでバルトを連想されるとは…恐るべし!
でもバルトの話はその論調がなんだかおもしろくないので、神社の話をくっつけて私なりに編集してみました。
>本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる
美しさは、ありがたさを伴うのかもしれないと思います・・・一期一会のありがたさと美しさ、という感じで。