rennyさん、m@さんと進めているリレー連載企画、
「本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~」
直近の記事は私がm@さんのブログへ寄稿した
その番外編としてさらに脱線したかった話をひとつ。
投資家は自分の行為が「投資」か「資産運用」か考えるよりも、
「投資」と「投機」の境界に悩むことの方が多いだろう。
しかし「投機」という言葉の本質を追究すると、
- 禅宗では真理の世界に参入して道と合一する体験を指し、
- 英語の"speculation"には「思索・推測」の意味がある
ことから、
言葉の上では「投資」を極めた最終形が「投機」かも。
- 投資家より投機家でありたい(11/11/28)
ところで漢字の成り立ちからはどう読み取れるのだろう。
本日のスープ本編でも紹介したとおり、
- 投…羽根飾りの付いた杖(殳)を手にとり邪霊を祓う。
- 資…「次」の「貝」。貝は内陸の殷・周王朝では宝物。
ことから、
「投資」とは邪霊を祓うことで次なる宝をもたらすこと
と読み取れる。
では「投機」の「機」はどのような意味があるのか。
「幾は邪悪なものを祓う力のある糸飾りの付いている戈で、これを用いて悪霊などがひそむのを調べ、問いただすことができるとされた。「しかけ」のある道具を機・機械といい、そのはたらきを機能という。」(白川静「常用字解」)
つまり「投機」とは潜んだ邪霊を探し、打ち祓うことだ。
なるほど、やはり投機は「禅」的なイメージを感じる。
心の奥に潜む邪悪なものに打ち勝ち、悟りを開くような。
となると「投資」と「投機」の本質的な関係とは、
- 内なる悪を打ち祓った上で(投機)、
- 外の悪を倒し、より良い未来を手に入れる(投資)
ということかもしれない。
でも「悪」とは一体何なのか?
とくに金融における善悪の変容はたびたび起こることだし、
- 金融システムの善悪(11/08/15)
私たちは東日本大震災に続くフクシマの原発問題で、
本当の脅威とは悪意ではなく、善意ではじまったことが、
何かの拍子に猛威を振るうことだと痛感した。
- 3.11が告げたリスク管理社会の終わり(13/03/10)
そして投資家が考えるべき善悪の境界もむずかしい。。。
コメント