古代日本では言葉には霊力が宿ると考えられていた。
万葉集(3254)にはこんな一首が残されている。
敷島の 倭の国は 言霊の 助くる国ぞ 真幸ありこそ
日本は言霊(コトダマ)が助ける国。
私が「ご無事で」と宣言したから、心配いらないよ。
日本人は無口で自己主張しないと自虐するけど、
実はむやみに言挙(コトアゲ)しないことで霊力を養う、
という遠い過去の記憶も背景にあるのかもしれない。
「文字は、ことばの呪能をそこに定着するものであり、書かれた文字は呪能を持つものとされた。」白川静「漢字百話」P33
そしてその言霊の一瞬を切り取った文字にもまた、
ある種の特別な力が込められている。
ちなみに「言語」の由来を白川式に読み解くと、
「言」
「辛」と「口」を組み合わせた形。
「辛」は入れ墨をするときの針。
「口」は神への祝詞を入れる容器。
「口」の上に「辛」を置き、言葉に偽りがある場合は、
針で入れ墨の刑罰を受けますとの神への誓う漢字。
「語」
「吾」は「口」の上に「五」形のふたを乗せ、
祈りの効果(言霊)を守っている漢字。
「言」は正しさ主張するために誓いを立てる攻撃的な字で、
「語」はそのような攻撃から祈りを守る守備的な字と言える。
実は攻守のバランスが取れた言葉だったりする。
こんな深遠な由来のある文字たちだけど、
神聖な力を感じさせられることはほとんどなくなった。
手で書かずにキーボードで打つことが増えたからかな。
最近、神社やお寺がある街に近くに行った際に、
「御朱印」をいただいているのだけど、
たまにとんでもなく美しい字に出会う。たとえば…
私も書道を習って、この手に文字の力を!と考え中。
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