「初心」を大辞林で引くと、
- 何かをしようと決心したときの純粋な気持ち。
- 学問・技芸などを習いはじめて間がないこと。
- 物事に慣れていないこと。世慣れないこと。
とあり、私たちがよく使うのは「1.」の意味だね。
この「初心」という言葉を最初に使ったのは世阿弥だとか。
そういえば「風姿花伝」の年来稽古条々にこんな記述がある。
24、25歳の頃に周囲から誉められたからといって、
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり。」
時分の花(その時かぎりの魅力)に舞い上がったりすると、
まことの花(決して散ることのない魅力)は得られない。
「初心」はこのころ訪れるものであると。
今とは少し違う意味で使われているよね。
もの珍しさから周囲に賞賛され、慢心が生じるという壁を、
乗り越えていった経験が「初心」であるという使われ方だ。
だから初心は一度きりのものではなくたびたび訪れる。
「花鏡」にはこんな心得が残されている(原文は漢詩)。
当流に万能一徳の一句あり。
初心忘るべからず。
この句、三か条の口伝あり。
ぜひ初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
今でも使う「初心を忘れるな」が説かれており、
人生のその時々に出会う試練に
どのような心構えでどう乗り越えていったのか?
それを忘れるな!、という使われ方になっている。
一つの道を追求する偉人の言葉は似てくるようで、
世阿弥から約200年のちの宮本武蔵はこう語る。
「渡を越すといふは、たとえば、海を渡るに瀬戸という所もあり、または四十里五十里いも長き海を越すをも渡といふなり。人間の世を渡るにも、一代のうちには、渡を越すといういう所多かるべし。」(五輪書・火の巻)
「瀬戸」をいかに感じとり、それを「渡って」いくかが大事。
剣の勝負や人生にもたびたび訪れる「瀬戸際」のことだ。
瀬戸際を乗り越えた経験(初心)を忘れないようにしたい。
でもそもそも勝負しないと瀬戸際には出会えないよね。
いくつになっても初心に出会えるよう挑戦することが大切!
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