「月は地球の近くにあったのに、だんだんわれわれから遠ざかっている。・・・われわれの遺伝子や脳には月がだんだん遠のいていったという古来の記憶が伝播されていて、それが月に対するはかなくやるせないおもいを駆り立てているにちがいない。」-松岡正剛「ルナティックス」P52
このような感覚が世界共通なのかどうか、私は知らない。
「美の中に真理を、真理の中に美を見抜く感覚」(by タゴール)
が特徴の日本文化において、夜空の「月」は極めて重要な存在。
文学、宗教、建築物など様々な分野において輝いた、胸中の月。
日本を追いかけはじめて2年くらい経つのかな。
これまで出会った日本の月をいったんまとめてみたい。
【文学の月】
平安時代を代表する女流作家、紫式部と清少納言の月。
どちらも月に時を超えた何かを感じていたようだ。
「時々につけても、人の心を移すめる花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に、雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも、残らぬ折なれ。」(源氏物語・朝顔)
四季折々の花よりも、冬の夜に雪を照らす月の光が心にしみる。
あの世のことにまで想いをはせて、「あはれ」を感じる。
「月のあかき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにしことの憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆるをりやはある。」(枕草子・292段)
明るい月に照らされると、嫌なこと、嬉しいこと、「をかし」と感じたこと…
過ぎ去ったことが、今のことのように心の中に立ち上がってくる。
【和歌の月】
和歌に月が数多く詠まれるようになったのは平安時代後期から。
勅撰和歌集における月の歌の推移を見てみると…。
ひとつひとつの歌を追ってはいないが、貴族社会の衰退とともに、
悲しみを胸に月を眺めて歌を詠み、心を落ち着かせたのかもしれない。
そして月の和歌といえば、なんといっても西行。
(待賢門院璋子への?)叶わぬ恋心を月に託した美しい歌の数々。
弓はりの 月にはつれて みし影の やさしかりしは いつか忘れむ
面影の 忘らるまじき 別れかな なごりを人の 月にとどめて
ともすれば 月見る空に あくがるる 心の果てを 知るよしもがな
月と恋との出会いは、後の夏目漱石につながるだろうか。
”I love you.”を 「あなたといると月がきれいですね」と日本語訳。
【禅の月】
とくに道元が「月」にたとえて、その教えを説こうとした。
「正法眼蔵」において「都機(つき・月)」という章を設けているほどだ。
「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。」(現成公案)
「月にあらざれば心にあらず、心にあらざる月なし。」(都機)
さらに道元は月の和歌も残している。
濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて 光とぞなる
すむ(住む・澄む)の使い方に、和歌の才能まで感じさせられる。。。
月の光の下での座禅にいそしむことが、悟りへの道だったのだろうか。
【建物の月】
応仁の乱のさなか、権力をふるうことを放棄した将軍、足利義政。
時の権力者に翻弄され、関白にも天皇にもなれなかった、八条宮智仁親王。
両者はやるせない想いを胸に、月へ逃避した。
そして月の運行を計算に入れて建てられたのが銀閣寺と桂離宮。
後にブルーノ・タウトが「日本の美のシンボル」と絶賛する桂離宮は、
智仁親王が月見で悲しさを紛らわすために建てた館だった。
【大震災の月】
震災直後の月がひときわ輝いていたことに気がづいただろうか。
あの頃ちょうど、19年ぶりに月と地球が再接近する”Super Moon”現象。
普段より月が14%大きく、30%明るく見えたんだよ。
もうすぐ1年。
あの時の月とともに語られる日も来るのだろうか。
参考文献一覧
・ツベタナ・クリステワ「心づくしの日本語」 タゴールの言葉
・松岡正剛「花鳥風月の科学」 勅撰和歌集の月
・松本章男「道元の和歌」
・宮元健次「月と日本建築」
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