世阿弥「風姿花伝」の結論は…

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前向きな選択をすると、不思議と楽しい話が増えてくるもの。

そういえばソクラテスが、

世界を動かしたければ、まず自分を動かすことだ。

なんて言葉をのこしていた。

こういうのを世間では「引き寄せの法則」って言うのかな…

でも明るい気持ちでいれば、同じものが違って見えるだけかも。

実は世阿弥の能楽論「風姿花伝」がそんな結論になっている。

舞台での成功を約束する役者の魅力「まことの花」。

それをいかにして手にするかを語った末に、

同じ能を、昨日・今日見れども、面白やと見えつる事の、今また面白くもなき時のあるは、昨日面白かりつる心のならひ、今日はめづらしからぬによりて、悪しと見るなり、その後またよき時のあるは、先に悪かりつるものをと思ふこころ、まためづらしきに返りて、面白くなるなり。

以前感動した同じ舞台をもう一度見ても、

気持ちの慣れで、新鮮さを感じなくなってしまったり、

その反動で、さらにもう一度見てみると感動したりする。

本来より、よき・悪しきとは、なにをもて定むべきや。・・・これ、人々心ごころの花なり。いづれをまことにせんや。ただ時に用ゆるをもて花と知るべし。

花の良し悪しは人々がめいめいの心に咲かせる花が決める。 
どれか1つを取り立てて「まことの花」だ!とは言えないのでは?

「風姿花伝」はここで終わる。

うつろいやすい人の心が決める、ものごとの良し悪し。

そこに絶対的な判断基準なんてものはなく、

見る見られる関係のなかで相対的に変わっていくもの。

だからこそ、まずは自分自身の気の持ちようが大事ってことだね。

コメント

  1. かまたり より:

    「うつろいやすい人の心が決める、ものごとの良し悪し。
    そこに絶対的な判断基準なんてものはなく、
    見る見られる関係のなかで相対的に変わっていくもの。」
    ・・・そうなんですよね。「美」についても同じことが言えるのです。
    絶対的な美、美の王道があると信じて黄金比や白銀比、古画の勉強などをするわけですが、そもそも美の判断基準などはない。
    ましてや「人が感動する」というのはまた別の理由なんですよね。 
    美も「見る見られる関係のなかで相対的に変わっていくもの」とあらためて認識させられました。

  2. まろ@管理人 より:

    急に京都の「鮎」の話を思い出して記事に書いたところでした(笑)
    見る見られる関係の中で相対的に変わる…
    私がそのことをはっきり認識したのは、アインシュタインの「相対性理論」でした。
    美学からのアプローチと物理学からのアプローチが交わる。実に面白いですね。