生態系の保護を唱うキーワード「生物多様性」。
興味を持って生物学に触れてみたら、訳が分からなくなった。
これまで書いた記事を編集しながらまとめると、
- 知性の限界-ユクスキュル「環世界」(12/06/07)
私たちが「客観的」に分析したと信じている世界像は、
世界全体から「主観的」に一部分を型抜きしたものにすぎない。
だから生態系の保護に価値がある、というその「価値」とは、
意識せずとも「人間にとって価値があるもの」になっている。
- 本川達雄「生物学的文明論」(11/07/23)
生態系の保護を唱えても、人間の知覚の範囲内に限定されるし、
科学的な価値判断をすると、生物の総「量」でしか計れない。
また「質」や「かけがえなのなさ」を人間には判断できない。
- ピーター・D・ウォード「地球生命は自滅するのか?」(10/01/24)
この本のP193では地球上の生物の総量の過去~未来について、
何通りかの予測が示されているが、今後増えることはないようだ。
そして生物を総量を決めるのは「人」ではなく「太陽活動」なのだ。
総量はもちろん、「種」の量についても多ければいいのかというと…
- すべての種がどこかで繋がり、地球の生態系を維持
- ごく少数の種が地球の生態系を維持し、後の種はオマケ
どちらが生態学的に正しいのか分からない、というのが現状だ。
もし後者が正しかったとしたら…
本当は地球にとって重要でない動物を救うためにお金をかけ、
その影で重要な微生物が酒蔵の廃業とともに絶滅してたりするかも。
「生態系の保護」みたいな常識をいったん疑ってみてはいかが?
分かりやすい「意味」を求め、科学的に世界を単純化することで、
いつの間にか本質的な「意味」を失っている話はよくあるものだから。
コメント
まぁ自然の一部、地球に住む多種の生物の中の一種でしかない
人間には、地球上の生命の存続に必須な種と、適応から外れて
しまっていて滅びても影響の少ない種という分類があったと
しても正確に判断は出来ないでしょうね。自分たち人間も
その生態系の中の一部だし、人間自体が生態系存続に必要性が
ない種かもしれない。
結局はどの種が地球の生態系にとって重要かはよく分からない。
が、分からないからって放置して乱獲でも何でも許していたら、
食物連鎖や生態系が崩れて、森林が荒れ果て、水源が保てなく
なったり、農業に適した土地が減ってしまったりして人間が
住みにくくなる。
なら、とりあえずあれもこれも絶滅しないように保護しとけば
人間の生活も破綻しないよね? っていう分からないときの
総当り思考での保護策が現状だと思ってます。
ただ、それって仰るとおり生態系保護の「本質」は見えてない
まま闇雲に行動してるわけで、中には「なんでも保護」こそ正義
でそれが目的で活動してる人も結構いたり。某環境テロ組織は
「お気に入りだけ保護」みたいなのであれは例外ですが。
CO2排出規制の件も本質から離れた、ただの外交材料になって
たりしますし、本質を見ようとしないで声を荒げてる人たちは
多そうですね。
環境問題ってヘンテコです。
純粋に考えて追求するとこんな感じでメチャクチャなんですよね。
MBAと似てるのかな、20世紀の後半に急に現れて大きな顔をしているけど、実は中身空っぽみたいな。
歴史の浅いものはみんなこの調子なのでしょう。