千利休と同世代にノ貫(へちかん)という茶人がいたらしい。
戦国時代の名医、曲直瀬道三の姪婿と伝えられている。
世俗を離れ、自由奔放に茶を楽しむのみ。
当時の流行だった高価な茶器を集めることもせず、
雑炊を焚いた釜を茶釜に使うほど道具に無関心だったという。
美味しいお茶を振る舞うことができれば、かたちはどうでもいい。
江戸時代に柳沢淇園が書いたとされる随筆集「雲萍雑誌」に、
名声を追い求めた利休を批判するノ貫のことばが残される。
「利休は幼なきの心は、いと厚き人なりしに、今は志薄くなりて、むかしと人物かはれり。」
「利休は人の盛なることまでを知て、惜いかな、その衰ふるところを知らざる者なり。」
利休の切腹前であれば、時の権力に近づきすぎた利休への警告、
切腹後であれば、利休を惜しむ弔辞といえるだろうか。
ノ貫は北野大茶湯の野点で秀吉に気に入られた、とされるが、
「暫しの生涯を名利のためにくるしむべきや。」
誰に仕えることもなく、自由気ままに生き続けた。
またその晩年、
「風雅は身とともに終わる。」
と自分が書いてきた短冊類を買い取って燃やしてしまった。
こんなこともあって、ノ貫に関する史料は極めて少ない。
千利休や古田織部はその美学を歴史に刻んだが、
名声ゆえに時の権力者に疎まれ、切腹を命じられてしまう。
一方、ノ貫は名声を欲せず、雲のように自由に生きた。
どちらの生き方が好きかは人それぞれだろうね。
参考図書
コメント
ノ貫なる方、相当な自由人ですな。
世のしがらみなぞどこ吹く風、物にも記録にも囚われない。
自由人としての悟りの境地に達した人なんでしょうな。
自分には到底まねできないし、真似しようとも思わないけれど、
ここまで囚われずに生きられる心の強さと身軽さが羨ましくも
ある。